青木ルーツ掲示板
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  [No.247] Re: 我が家は何者
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 10:13:44

Re: 我が家は何者
青木研究員 さん 2007/02/22 (木) 08:08
おはよう御座います。

近江の青木さん。
早速、お便り、ご質問いただきありがとう御座います。

びっくりされたと思います。

お尋ねの件はまず、一つは、横浜の青木町の件ですが、このことからお答えします。

この横浜神奈川の青木町は御家の青木氏と別の青木氏です。

この青木氏には横浜より右側では藤原秀郷流青木氏の子孫が定住し平安期から独自の村を形成していたのです。埼玉の入間を中心に神奈川横浜を半径として円を描く範囲に存在しています。
村ついては青木氏の地名地形データを参照して下さい。

そして、この左側の伊豆よりにも青木町があります。この神奈川の左よりの青木町には甲斐の武田系青木氏と甲斐の皇族賜姓青木氏が信長に追われて逃げ延びてここに定住しました。この一部は栃木方面にも逃げ延びています。
次に熱海から伊豆地方にかけてある青木町は平安初期からこの地域を守護地としていた清和源氏の源の頼政に伴ってきた皇族賜姓青木氏の伊勢、美濃の青木氏です。守護地であるので一部が移動してここに村を形成したのです。

次ぎに御家の青木氏ですが、これには3つの青木氏が考えられますが、情報が少ないので確実とは行きません。
藤原秀郷流青木氏と皇族賜姓青木氏とあり、この皇族賜姓青木氏には2つに分かれます。
あとは佐々木系青木氏です。
皇族賜姓青木氏と佐々木系青木氏はルーツは同じですが、発祥期が佐々木系青木氏は後に成ります。元は近江の皇族賜姓青木氏です。近江賜姓佐々木氏と近江の皇族賜姓青木氏との血縁で出来た青木氏です。

ここで、もう一つは元は上山氏という一族がこの賜姓青木氏の分家を乗っ取り青木氏を名乗った子孫もこの近江と滋賀地方に多く存在します。

抱き茗荷紋はこの3つの青木氏が血縁しているのですが、前レポートでも書きましたが、藤原秀郷流青木氏ではないことは、お名前の「右衛門」のなずけになっていませんので、先ず異なると考えます。
次ぎは伊勢の皇族賜姓青木氏との血縁ですが、これもなずけでは異なります。

ところが、近江皇族賜姓青木氏(一部佐々木系青木氏含む)にはこの土地には丹波から甲賀に沢山の城を持っていましたが、この一族は全て右衛門を使っています。「...右衛門」です。

昔は各地のどの青木氏であるかを区別してわかりやすくする為に有る程度の家柄の子孫は襲名の習慣がありました。右衛門は近江地方の賜姓青木氏です。

ところが、この近江賜姓青木氏は一時佐々木系青木氏との間で問題が起こり、一部は滋賀に移動しています。ところが、この移動した青木氏は又元に戻ります。一部は摂津に定住しました。摂津付近にも青木町がありますが、これは滋賀から戻った近江賜姓青木氏の子孫です。

そこで、この近江の皇族賜姓青木氏を元祖とする御家は、この近江の賜姓佐々木系青木氏か近江の皇族賜姓青木氏か情報が有りませんので判別できません。後に、情報の提供が有りましたら定まっていくものと思います。

「...右衛門」だけの手がかりだけですので、この皇族賜姓青木氏と云う事以外にありません。
兎も角、この佐々木系青木氏も同じルーツですので「...右衛門」を使用しています。
青木城の城持ちもいました。

近江の佐々木氏も同じ天智天皇の皇子から賜姓を受けた元祖ルーツを同じくしています。

そこで、滅亡したとのことですが、何処に書いていたのかお知らせください。
「青木氏(家紋)と血縁族」茗荷紋には「滅亡」はないと思いますが。
その意味具合を説明したいと思います。

念のために、家を中心とした氏家制度のなかですので、滅亡には家が潰れたことと、子孫がなくなったこととは別ですのでご注意ください。

この5つの皇族賜姓青木氏24氏は信長に全て潰されています。しかし、子孫をこっそりと逃しているのです。上記した様に逃げ延びて子孫を遺しているのです。
藤原氏の青木氏の中に皇族の青木氏がのがれれば、わからなくなるからです。

土地の守護であった「氏」つまり、「家」が無くなる事。言い換えれば守護ではなくなって身分が無くなったことを意味します。それが戦いでなくなったとすると、その後継ぎの子孫は潰されてしまいますが、抹消の支流、分流、分派の子孫は残ります。本家筋が潰されると言う事に成ります。

ところが信長だけは、勢力が届くまでの域まで、この抹消の子孫までを殺戮したのです。

逃げ延びたところで、元居たところで、復元しているのです。
滅亡といっても色々あります。この青木氏は子孫を戻しています。

青木氏は、独自の自分の寺の菩提寺と神社を持つています。御家も調べていくとこの菩提寺にたどり着けるはずです。

そして、その菩提寺の条件は浄土宗です。現在は何宗ですか。
宗派が異なると移動したときに付近に浄土宗が無かったことが考えられます。
浄土宗は特別の身分のものしか入れない宗派でした。
江戸期になって幕府が奨励しましたので少し増えたのですが少ないです。

そこで、青木氏ははっきりした一族で皇族賜姓青木氏24氏と藤原秀郷流青木氏116氏から成り立っています。(他に上記の皇位の家柄の青木氏を真似て、一般の人々が江戸初期と明治初期に寺に高額の金品を渡して偽の系譜をつけて届け出て名乗った第3青木氏があります)
この青木氏には矛盾が生まれます。宗派、土地、寺、地域、家紋、名、系譜など

家紋にしますと30紋/33に成ります。家紋掲示板に掲載しています。
御家はその一つの「抱き茗荷紋」です。

ちょっとしたことでも結構ですのでお判りになるとお便りください。
お待ちしています。



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