青木ルーツ掲示板
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[掲示板トップ(ツリー表示)] [新規順タイトル表示] [新着順記事] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

  [No.594] Re:東京都多摩地区の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/07/30(Thu) 20:46:08

多摩の青木さん 今日は。 始めまして。

ようこそ青木サイトに御越し頂きました。
このサイトは全国の青木さんが集うサイトです。
ここには、青木氏に関する史料が整っています。
これからも自分サイトとしてお使いください。

それで、青木ルーツ掲示板に「多摩の青木さん」の「専用の投稿欄」を設けますので、ご質問やお便りがありましたらどしどしお使いください。

さて、お尋ねの件ですが。その前に葬儀屋さんの言われた事は全くその逆ですよ。

「家紋200選」と云うのがありまして、全国8000の家紋の中で大変子孫を広げ有名な家紋群ですが、その中の一つで、その中でも有名な家紋ですよ。

この家紋は陸奥小田氏が使用した家紋で、藤原秀郷一門が陸奥の「鎮守府将軍」として12代に渡って勤めました。幕府を開ける身分の「征夷大将軍」の前身ですが、この時陸奥の豪族であった小田氏と血縁関係を結びました。その後この血縁関係を結んだ小田氏は藤原秀郷一門が「鎮守府将軍」の任務を終えた時に護衛隊として同行しました。先ず、武蔵(埼玉)に帰り、その後、再び甲斐や信濃の守護として朝廷の命にて赴任しましたので護衛隊として同行しました。
甲斐の武田氏の前身はこの藤原秀郷一門と血縁した小田氏で甲斐に定住しました。そして、勢力を得て甲斐の豪族武田氏を名乗りと豪族と成りました。
この清和源氏支流河内源氏傍流の武田氏で武田信玄で有名な豪族の前身なのです。
その小田氏の家紋が「州浜紋」なのです。
そして、この小田氏の一部は武蔵、常陸、地域に移動して「関東屋形」(3氏)と呼ばれる関東一の大豪族
と成りました。
つまり、藤原秀郷主要5氏の「第2の宗家」と呼ばれる藤原秀郷流青木氏(116氏)の一つで、この陸奥から移動してきた小田氏と青木氏とが血縁して発祥した州浜紋青木氏です。
本来は藤原秀郷流青木氏は「下がり藤紋」が綜紋ですが、陸奥小田氏から跡目を採り血縁した時にその養子に男子の子供が出来ずに養子先の家紋に変紋する事に成り「家紋掟」により「州浜紋」に成ったのです。元は「下がり藤紋」で、つまり一族の綜紋です。

藤原秀郷流青木氏は初代秀郷の第3番目の子供の千国が侍となり一門の護衛役を担いました。
秀郷は「平将門の乱」を鎮めた勲功で武蔵の国と貴族の身分を獲得しましたので「定め」により自らは武力を使えません。依って第3番目の子供の千国にその護衛役任務を与えたのです。
秀郷一門が赴任する所(24国)全て同行して護衛役を務めました。
ですから、24の各地にこの青木氏の末裔があり、116氏にも拡がったのです。

お家の付近に住まわれている青木氏さんはこの青木さんです。
武蔵(埼玉)入間郡に秀郷一門の総宗本家が居て、そこを中心に横浜神奈川を半径とする円にこの青木氏116氏が本家筋を内部にして螺旋状にぐるぐると取り囲み下野、上野まで拡がっています。

お家はその中の多摩地域に定住していた青木氏です。

この藤原秀郷流青木氏のほかにもう一つの流の違う青木氏があります。
皇族賜姓青木氏と云いますが、天智天皇より始まり5家5流29氏存在します。この青木氏は5代の天皇の第6位皇子で臣下して天皇を護る近衛兵を勤めました。
天智天皇、天武天皇、文武天皇、聖武天皇、弘仁天皇の5人の天皇の第6位皇子です。
伊勢王、近江王、美濃王、信濃王、甲斐王の土地の守護王です。
この一族と母方で藤原秀郷一門と繋がっています。
ですから、藤原氏の千国の護衛役の青木氏を特別に朝廷の許可を得て名乗ったのです。
青木氏については、嵯峨天皇の詔により皇族以外に名乗っては成らないと云う禁令を発しました。
これ等の事は概容を述べましたが、全てレポートしていますので、お読みください。

先ず、お家は多摩ですが、これ等の事は、左メニュー「青木氏氏 研究室」の「青木氏と血縁族」(家紋)の州浜紋のところのレポートに詳しく書いています。また、「藤原秀郷主要5氏と家紋の研究」の3/10の州浜紋をお読みください。そして、「藤原秀郷」関係のレポートが沢山ありますので、一つ一つ時間を掛けてゆっくりとお読みください。
藤原秀郷流青木氏は116氏もありますが、その中には片喰族もありますよ。
片喰族も有名です。33家紋あります。二つの紋を使っていたとすると、女系側の家紋であったと観られます。
お家のルーツの全ての事が詳しく判りますよ。

ただ、確認事項として、一つ問題に成るのは、宗派です。2つの流の青木氏は全て浄土宗です。
青木氏は独自の氏寺菩提寺と氏神を持っていました。
臨済宗の元は浄土宗(特別に浄土真宗)かをお確かめ下さい。(ご宗家又は本家に付いては浄土宗ですか)
戦後の臨済宗になる前はご本家の青木氏寺の菩提寺があった筈です。
それと、お家は5代前とすると江戸時代末期ごろですね。ただしご本家では更に前と成りますがこの点も確認してください。ご本家は武士でしたか、郷士でしたか。
江戸時代に墓がある事は郷士を含む武士であった筈です。(一般庶民は特別な身分の者以外は墓を持ちません 特別な者とは名主、庄屋、郷士、郷氏、豪農、豪商で多くは元は武士です)
郷士とは農業もしていた地侍です。名主や庄屋や豪農などはこの郷士が多いのです。
藤原秀郷流青木氏の場合は鎌倉期に朝廷の仕事を失職離散しましたので一部が武士を棄て特別な者としての身分で生き抜いたのです。それが郷士か郷氏です。

では。先ずはレポートをお読みに成り、上記の確認事項のことをご確認下さい。

ご質問が有りましたら専用投稿欄から遠慮なくお尋ねください。

ではお便りをお待ちしています。多摩の青木さん投稿専用欄にお便りください。



- 関連一覧ツリー (◆ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー