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  [No.631] 福島の青木さん
     投稿者:福島の青木さん   投稿日:2009/10/01(Thu) 12:35:06

代理投稿

青木和正さん
2009/09/30 22:30 - パソコン
  初めまして、よろしくお願いいたします。

コメントをいただけると思っていませんでしたのでびっくりしました。
実は、いわき市の出ですので未勘氏と思っていました。
確かに、本サイト中に、「磐城袋内に転封したと思われる」という記載があり、祖父の実家は、この袋内とは4kmほどの距離であり、もしかしたらそこから分家した可能性はあるものの、袋内はどこにもある地名であり、また、丸付き紋であり、その可能性は低いものと思っていました。
あるいは、転封した青木氏とは関係がなく、近江から逃げのびてきた氏なのかも知れませんが・・・。
その辺りを更にご教示いただければ幸いに存じます。

いずれにしましても、最近まで、自分の姓がこんなに歴史のある氏とは思ってもみませんでした。うれしいコメントをありがとうございました。
今後とも時間がある限り寄らせていただきますので、がんばってください。

青木和正さん 始めまして。 今日は。
ようこそ青木サイトに御越し頂きました。これからもよろしくお願いします。

全国の青木さんが集うサイトです。たくさんの青木氏に関する資料が用意されていますので楽しんでお読みください。

さて、福島県いわき市ですか。
この地域は藤原秀郷流青木が大変多い地域でその北限域に当ります。
又、信長に追われて神奈川横浜から更には栃木に逃げ延びた甲斐の諏訪族青木氏や一部武田系青木氏が地域でその北限域でもあります。
ですから、青木氏は多いと思います。

しかし、お家は抱き茗荷紋の丸付き紋(浄土宗ですので分家筋)ですので、先ず考えられるルーツは近江二宮氏です。この二宮氏と皇族賜姓近江青木氏か、この一族である佐々木氏系青木氏と血縁した末裔と考えられます。

近江で二宮氏と藤原秀郷一門の脩行に同行した藤原秀郷流青木氏の末裔と血縁した青木氏とも考えられます。

又は、この二宮氏の子孫で近江から移動してきた伊勢の稲垣一族か鳥羽一族と、伊勢にて半国司を務め定住した伊勢の藤原秀郷一門の伊藤氏に同行した藤原秀郷流青木氏との血縁による末裔かとも考えられます。

私は、浄土宗を現在も福島地域で宗派としているところを見ると皇族賜姓近江青木氏の可能性が高いと考えます。
藤原秀郷流青木氏も浄土宗ですが、藤原秀郷一門の赴任地には浄土宗が少なく仮入信で浄土真宗を宗派としていることが多いのです。武蔵に帰った者は浄土宗に戻りますが、赴任地で血縁し末裔一族は浄土真宗が多いのです。
しかし、皇族賜姓族は一切この仮入信をしていませんので、移動先の関東でも浄土宗の伝統を護っているとすると、賜姓族の青木氏と成ります。

次ぎは、”何で福島に移動しているのか”の理由です。
そこで、いわきには江戸期中期前後から居たとすると、史実に二宮氏と血縁して伊勢に移動してきた稲垣氏や鳥羽氏と共に、この近江青木氏が江戸期の伊勢地域の大名に仕官し、その江戸大名一族が関東に転封した大名で、更に福島にも一族が居る氏を探して存在すれば江戸期の移動説は確定します。
且つ、この大名が近江にも居た事が在れば家紋分布としては確定します。

江戸時代に於いては、「国抜け」で一族獄門張付罪と成り自由移動と定住は出来ませんので、大名の家臣と成って移動定住する以外にはありません。後は無宿者と成るしか有りません。
二宮氏の末裔子孫の稲垣氏はこの転封で伊勢に移動しています。
近江稲垣氏の丸に抱き茗荷紋と伊勢志摩稲垣氏の抱き茗荷紋です。
この時、一族家臣として二宮氏系近江青木氏は当然に移動しています。この時、この稲垣氏末裔も地名から伊勢では鳥羽氏も名乗っています。

そこでこの伊勢に定住した二宮氏系近江青木氏の支流又は分家筋が何らかの血縁関係でこの地域に居た大名の家臣との血縁関係がありその大名の家臣と成って移動している筈です。

では”その条件に合致する大名はいるか”です。
この条件に完全合致する江戸の大大名が伊勢に居るのです。それは神戸藩本多氏です。
この本多氏は歴史上家康の側近として各地に移動するか一族を移動させるかしています。この移動地は7つあり血縁氏を入れると10程度に成ります。
そして、問題はこの本多氏が福島に居るのです。それは福島の泉藩本多氏です。

お家は「丸に抱き茗荷紋」ですので、近江に多く分布する二宮氏系近江青木氏であると考えます。
つまり、平安初期に第6位皇子として賜姓を受けて近江に定住した皇族賜姓近江青木氏です。
5家5流皇族賜姓青木氏の1氏です。
この近江には天智天皇第7位皇子の皇族賜姓近江佐々木氏があり、同族のこの賜姓佐々木氏と賜姓近江青木氏との血縁で発祥した佐々木系青木氏もあります。

佐々木氏は更に宇多天皇第6位皇子の皇族滋賀賜姓佐々木氏があり、この滋賀佐々木氏と近江青木氏との血縁で発祥した滋賀佐々木系青木氏もあります。
近江青木氏は平安期に一時一族が滋賀に移動する事が起こります。
再び、一族は近江に戻り、次ぎに摂津に定住すると言う経緯を持っています。
現在はこの近江青木氏は一部近江と攝津に分布しています。
滋賀に移動した時に分家の一部が残りますが絶えます。

伊勢青木氏、近江青木氏、美濃青木氏、信濃青木氏、甲斐青木氏の5皇族賜姓族と、夫々の土地の豪族との血縁族が在ります。土岐氏系青木氏、足利氏系青木氏、諏訪族青木氏、武田氏系青木氏、武田氏系諏訪族青木氏があります。
これらは5家5流の賜姓青木氏が土地の豪族と血縁して男系跡目が出来ずに養子系の系統に入った青木氏です。

お家はこの近江青木氏で近江の伝統のある古豪族二宮氏の分家との血縁で2代続きで男系跡目が適わず二宮氏系青木氏となり、家紋は当然養子先の「丸に抱き茗荷紋」と成ります。

この末裔が稲垣氏の江戸時代の移動で伊勢に移り、その末裔の一部分家筋が当時の伊勢の本田氏家臣と血縁して本田氏の家臣となって、更に福島に移動したと成ります。

「丸に抱き茗荷紋」の近江青木氏の分家末裔が近江本多氏の家臣であって移動したとも考えられますが確定する情報が有りません。

私は家紋を重視すると、稲垣氏の伊勢ルートではと考えていますが、宗派から考えると近江ルートとなるかも知れません。
伊勢ルートであれば、家紋は本来は抱き茗荷紋で、伊勢で分家か支流となり、丸付き紋に成ったことも考えられます。
近江ルートであれば、家紋は近江で分家か支流の二宮氏と血縁し丸付き紋に成ったと考えられます。

何れも家紋分布から観て、福島で丸付き紋に成るだけの子孫拡大は大きくありませんので、上記何れかです。

参考
A 丸付き紋に成るには、妾子であり、正妻嫡子等が居て、家紋使用を丸付き紋として成った事
B 嗣子でありながらも何らかの理由で本家から丸付き紋の使用を指示された事、
C 或いは嫡子が居て、養子(貰子)であったために丸付き紋となった事、
D 第3氏又は未勘氏が丸付き紋を使った事

以上4つで家紋掟からこの様に成ります。
既に、近江では「丸に抱き茗荷紋」の分家も存在していますので、浄土宗ですのでDではありません。

浄土宗の持つ時系列分布域、家紋の持つ時系列分布域のどちらを重視するかに掛かっています。

江戸幕府は初期に浄土宗が高位の氏の特定氏、特定域の宗派であったことからも江戸初期に督奨励令を出した経緯があります。

実は、関東に少なくも存在する抱き茗荷紋の末裔はこの本田氏の移動によるものと考えられています。

抱き茗荷紋は、関西では近江と伊勢に多く分布する家紋ですが、以下の転封域にも少なくも分布しているのです。つまり、本多氏の移封動経路と一致しているのです。

本田氏の転封域
丸に三つ立ち葵紋(立ち葵紋:本多立ち葵紋とも云う)

近江、美濃、信濃、尾張、遠江、駿河、陸奥
以上7域

以上、家紋と宗派から考察しましたが、他に情報が有りましたらお知らせください。

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