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  [No.785] ルーツの土地へ縁あって転勤
     投稿者:青木 毅   投稿日:2011/05/31(Tue) 23:20:59

縁あって久し振りに酒を酌み交わした友人との話題がきっかけで、またこのサイトを見ています。
自分がこの世に存在させてもらっている数々の祖先について知りたいと思う気持ちは歳とともに強くなっています。リタイアしたら本格的に検証してみたいと考えるこの頃です。
さて、分かっている概略は
1.江戸時代より愛知県中島郡祖父江町神明津に住んでいること(墓石等で確認)
2.家紋は州浜紋
3.真言宗(亡くなった父は高野山で過去帳を見てもらったとのこと)
以上から江戸時代以前のルーツの可能性を教えていただきたく投稿します。
よろしくお願いいたします。


  [No.786] Re:ルーツの土地へ縁あって転勤
     投稿者:福管理人   投稿日:2011/06/01(Wed) 12:20:11

青木 毅さん 今日は。始めまして。

全国の青木さんが集う青木氏氏サイトにお越し頂きありがとう御座います。
これからもサイトの繁栄によろしくご協力の程お願いします。

研究室やルーツ掲示板や家紋掲示板などに青木氏の資料を用意していますので少しづつゆっくりと楽しんでお読みください。膨大な資料ですので、ご質問等有りましたらご遠慮なくお尋ねください。

さて、ご先祖に対する思いが深くなられたとの事ですが、結婚をし、子供を持ちしますと何か心の奥の方で応え湧き出てくるものが不思議にありますよね。

矢張り、人間は不思議な目に見えない心の糸で先祖と繋がっているのだなぁーと思いますね。
身の回りで理屈つけない不思議な事が起こります。

さて、早速ですが、ご質問の件ですが、先に結論からお答えします。
藤原氏北家筋の藤原秀郷流青木氏です。
その青木氏は藤原秀郷一門361氏中「第2の宗家」と呼ばれ一門を宗家に代わって取りまとめ指揮していた一族です。
藤原秀郷宗家は「平将門の乱」の鎮圧の功績にて貴族となりましたから武力を使う事ができません。
そこで、秀郷第3子の千国を侍にして護衛の役目を与えました。
そして、朝廷に対して、青木氏を名乗る事を申請して特別に認可されます。
青木氏は天智天皇期の第6位皇子を臣下させて天皇を護る近衛軍としました。この青木氏を皇族賜姓青木氏と云います。5代の天皇から5家5流出ています。
この後、嵯峨天皇はこの青木氏から源氏と変名して第6位皇子に源氏を賜姓する様になりました。
この時、元の青木氏を皇族の皇子が下族する際に名乗る氏名として使用を永代禁止しました。原則3期を除き明治まで護られました
しかし、この藤原秀郷の千国に対して母方が賜姓青木氏とつながっている事を前提に特別に藤原秀郷に対して青木氏を賜姓する事を許可します。そして賜姓青木氏と同じ官職と官位と家柄身分を与えます。これが御家のルーツの青木氏です。
その青木氏は116氏ありますが、その内の次ぎのルーツの青木氏と成ります。
州浜紋は陸奥の小田氏の家紋です。
秀郷一門は朝廷より「鎮守府将軍」を与えられ、陸奥の国の平定を命じられます。この時、この陸奥小田の土豪と護衛軍として参加していた秀郷流青木氏と血縁をします。この青木氏が任が解けて武蔵に戻る事に成りますがこの小田氏と血縁した青木氏も戻ります。
そして、その後、この小田氏と血縁したこの青木氏は甲斐に赴任移動して定住します。
この青木氏は一部武蔵に戻りますが、その青木氏の末裔に血縁先の陸奥小田氏を名乗らせ常陸に定住させます。これが関東最大豪族4氏の「関東屋形」と呼ばれる常陸小田氏に成ります。
秀郷流青木氏は領国の武蔵入間を中心に横浜神奈川を半径とする円状の中を螺旋状に中心より青木氏宗家筋を先頭に116氏の本家筋が取り囲み護っていました。
この116氏の青木氏は全国24地方に移動して現地の豪族と血縁した末裔子孫を遺して来ています。
とりわけ、美濃、尾張、三河、駿府の4国にはこの116氏の青木氏の縮図の様に定住しています。
御家の小田氏の血縁を受けた青木氏は甲斐か常陸から移動命令にてこの愛知に定住した青木氏です。
家紋が州浜紋に成っているのは、本来は「秀郷一門」綜紋「下がり藤紋」が御家のご先祖の家紋でしたが小田氏と血縁して男系継承が2代続けて叶わず家紋掟により第1の養子先の家紋と成ったものです。
恐らくは宗派から判断すると甲斐から愛知に移動してきたものと考えます。
本来秀郷一門は宗派についてその身分家柄から、古代密教の浄土宗か或いは赴任地にて浄土宗が無い事から浄土真宗と成っています。
ところが室町期のある時期に甲斐に真言宗密教の風が吹いて多くの武士が真言宗に宗派変えを起すという事件が起こりました。この時甲斐の小田氏系の青木氏の一部が入信しているのです。
そもそも甲斐の武田氏はこの秀郷一門青木氏に同行してきた陸奥小田氏が陸奥から移動して来て甲斐で土豪となり勢力を付けた豪族で後に地名から武田氏を名乗ったものなのです。
この地域に一時定住していた小田氏との血縁をした小田氏系青木氏ですから末裔一部が真言宗に入信している可能性があります。
この一部は常陸に移動して小田氏を継承して常陸の小田氏を名乗ったものですが、この常陸青木氏系小田氏と甲斐小田氏系青木氏は116氏の青木氏の中でも主要氏です。

高野山に江戸期の過去帳をお持ちとすると、この甲斐の小田氏系青木氏と観られます。
ですから、お家のルーツは秀郷流青木氏で美濃−常陸−甲斐−陸奥−安倍氏(阿倍氏)−阿多倍王一族(奈良期 後漢)に繋がるルーツを持っている事に成ります。
(甲斐は上野よりの地域 後に一部は真田氏の家臣になっている この一部は真田氏が配流先高野山麓の九度山に移動定住している 高野山との関係はここにもあります。)

概略を記しましたが、これ等の事柄に付いて全て生き様を含むあらゆる事柄に付いて詳しくは研究室にレポートしていますのでこれ先ずお読みください。
青木氏ルーツ掲示板にも多くの全国各地からの青木氏さんからのお便りがありますのでお読みください。掲示板の検索を使われると良いと思います。
リタイヤーの時の楽しみとして少しづつお読みに成っては如何ですか。

ご質問等ありましたらご遠慮なくお便り頂きます様に。お待ちしております。

読み終わるには1年は掛かるかも知れませんよ。
家紋は「青木氏と血縁族」(家紋)10のところに記載しています。


  [No.787] Re:ルーツの土地へ縁あって転勤
     投稿者:青木 毅   投稿日:2011/06/01(Wed) 20:53:56

早速の返信ありがとうございます。
なるほど、なるほどと読み、感謝をしている次第です。
このサイトをもう少し読み込み、父が残した備忘録を参考にして、いずれ家系図などの作成も
と考えています。
取り急ぎお礼まで。