青木ルーツ掲示板
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  [No.118] Re: 甲賀の青木
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/18(Sun) 19:27:14

全く、貴方の仰る通りです。今の企業どころの話ではありませんね。本家が一つ間違うと一族郎党赤子まで滅ぼされるのですから。まして、同じ一族の者から裏切られる事もありますから、一族は力のある者が指揮しないと死です。ですから、長男が居ても次男がしっかりしていると長男を誅し次男が嫡子になる事は日常の事でした。
賜姓青木氏の所を見ていただくとお判りであると思いますか゛伊勢、美濃、信濃、甲斐の賜姓青木氏は長男や嫡子が居ながら、清和源氏から跡目相続を受けています。又、美濃の土岐氏も、岐阜の足利氏も、甲斐の武田氏も清和源氏から同じ跡目相続を受けています。
又、この土岐氏、足利氏、武田氏と賜姓青木氏と血縁関係を持ち土着豪族系の青木氏が生まれている3つ巴の状況です。
これは渡来系の32/66国の所領を持つ超大勢力の京平氏に対抗するためで、普通の子供では到底一族を維持出来ないためです。
しかし、結果としては伊勢の青木氏を除き清和源氏(頼信系)を含む4氏は滅びます。
しかし、色々と調べていると以外に逃げのぴて子孫が残っている事が判ってきました。現在のところでは伊勢の賜姓青木氏を始めとして賜姓青木氏は美濃、信濃、甲斐に直系の賜姓青木氏(笹竜胆の家紋)が存在する事が確認できました。(支流は太田氏とか多田氏とか伊豆氏とか名を変えて多く残っているが)
伊勢と含めて5家5流氏の青木氏が現存します。

貴方のお家の本家筋の青木氏も、夏冬の陣で豊臣側に着いた一族は消えていますが、徳川方についた本家一族の正頼という人の子孫が代々徳川家に仕えて生き延びています。多分、どこかに本家が存在すると思います。私の調べた範囲では一人が江戸期に城持ちに成っている者がいますが、多分この者は貴方のお家の一族の本家筋の人ではないかと推測します。

本家の家紋は丸に揚羽蝶と木一文字です。このことから、この上山氏は揚羽蝶紋は渡来系京平氏の家紋ですから、丸付き紋はその支流紋と言うことに成ります。故に家紋が事実とすると平家の支流に当る血縁を一部に引いていると考えます。この線を基準に調べると出て来るかもしれません。
(渡来系一族のことは研究室の平家のレポートを参照して下さい。)

(賜姓青木氏と藤原青木氏とに当てはまらない疑問がありますので)
貴方のお家の本家筋は1230年ころまで10程度の各地の守護地頭職をつとめていますから残っていると思います。参考として私の調べた範囲としては地名データベースの欄を見てください。
研究の結果を又、教えてください。

追記
今後の研究に参考になるかもしれませんので以下のことを追記します。
貴方の一族の移動範囲ですが、越後(新潟)、越前(福井)、越中(富山)、美濃(岐阜)、近江(滋賀)、山城(滋賀)、大和(奈良)、淡路(香川)、阿波(徳島)、土佐(高知)、伊予(愛媛)、石見(島根)
以上に30年かけて3人の兄弟一族で移動し赴任しました。
これは一一族が10以上も官職を務めるのは稀で大変有能な一族で団結力もあつた事を示します。それだけに本家分家の内では厳しいものがあったと思います。この内のいずれかに貴方のお家の青木氏を残して来ていると思います。
(上山姓でも子孫を遺しているかもしれません)

(美濃には4氏種あり上山氏の青木氏の存在は確認、四国は無い様に思います。信濃には4氏種の青木氏が居るが1氏種は不明となっていますが、この一氏種は元は上山氏の青木氏かと見ています)

ご質問も何なりと。



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