青木ルーツ掲示板
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  [No.331] Re: ルーツを教えてください。(滋賀の青木さん)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 16:45:05

Re: ルーツを教えてください。
副管理人さん 2007/10/26 (金) 10:34
>全国の青木さんと管理人さんこんにちは。一族の家紋は菅原家と同じ梅鉢紋です。今は埼玉県さいたま市で暮らしています。宗派は本家は浄土宗ですが。昔から浄土宗であったかは不明です。何でも私の父親のかすかな記憶の話によると、明治の始めころ4代前の爺さんが分家して伊勢から東京に越して来たとのことです。今では本家との交流は途絶えてしまってつながりがまったくわかりませんし、存在しているかどうかもわかりません。父のかすかな記憶によると鳥羽あたりで学校の校長先生をしていた人がいるとの事です。伊勢の菩提寺は鳥羽市小浜町に、昭和36年まで存在していた龍泉寺という寺で、宗派は曹洞宗とのことです。なんでも、この寺は火事で焼失してしまって、再建もなく今は開山していないとのことですが、この寺は、なんでも武田信玄の家臣、小浜民部の菩提寺だそうで、檀家というものが存在しないと、隣の寺院の僧侶が教えてくれました。管理人さんは伊勢にいらっしゃるそうですが、この寺のお墓はどうなってしまったのか、もし情報等ありましたらお知らせください。

梅鉢紋の青木さん 今日は。始めまして。

青木サイトによくお越し頂きました。これからもどうぞ宜しく。
さて、文面から致しますと、私の伊勢青木氏のことをおしりになり、お読み頂いている様ですね。

では、この伊勢の青木氏に付いてご説明いたします。
伊勢は、3つの青木氏が存在します。
何れもそのルーツは異なります。ただ平安初期まで遡れば、母方で同じ北家筋の藤原秀郷のルーツを持ちますが。
その青木氏は、
1つ目は、伊勢松阪と玉城付近を中心に奈良との県境の名張から、名古屋の桑名、員弁までを直線で結ぶ領域に定住している皇族賜姓青木氏の伊勢青木氏、
2つ目は、近江国と滋賀付近の豪族二宮氏の末裔が、伊勢東の永嶋付近に移動した稲垣氏、その末裔鳥羽氏を名乗り、その後、伊勢青木氏との間で血縁をした永嶋付近に住んでいる鳥羽の青木氏、
3つ目はこの伊勢の国に国司として赴任した武蔵の国の藤原秀郷の末裔一門の藤原基景に同行した藤原秀郷流青木氏が鳥羽永嶋に定住した藤原秀郷流青木氏
の以上3つの青木氏が存在します。
この伊勢鳥羽永嶋には藤原秀郷の宗家一門が3人赴任しています。
一人目は、藤原秀郷(鎌足より8代目)の祖父の藤成です。藤原鎌足の直系の6代目(825ころ)のものです。
二人目は、秀郷より8代目の基景です。
三人目は、平安末期の基経です。

御家はこの家紋の梅鉢紋の青木氏と成りますと、梅鉢紋は菅原氏の家紋ですので、平安中期の藤原基景が伊勢の国司として赴任し、これに同行した藤原秀郷流青木氏でこの青木氏がこの時期に菅原氏と血縁をしたものです。

ただ、この時に基経までの間の何代目かに男系子孫の跡目が出来ず、養子縁組を菅原氏と行い家を継いだと考えられます。しかし、さらに男子が生まれず、止む無く家紋掟により女系と成った事により変紋を余儀なくされ、養子の実家先の家紋、即ち、梅鉢紋になったと考えられます。
その後男系が続いたと考えられます。
養子に後継ぎの男子が生まれれば、元の家紋の藤原秀郷一門の綜紋「下がり藤紋」に戻る事も出来ました。

養子をとると一時的に家紋を養子先の家紋となり、男子が生まれれば元に戻す事が出来る掟です。
この藤原秀郷の末裔の基景の宗家一門は後に、伊勢に定住して、伊勢の藤原氏即ち、伊藤氏として名乗りました。この藤原氏に付き従った護衛役の青木氏です。
藤原秀郷一門主要5氏は、青木氏、永嶋氏、長沼氏、進藤氏、長谷川氏となりますが、宗家の藤原氏は貴族と成りましたので、自ら武力をもつ事は出来ません。そこで一族の子供に武力を持たせて護衛役を担わしたのです。これが青木氏でありました。
その中の梅鉢紋の青木氏と成ります。この藤原秀郷の青木氏一門は上記のような跡目理由で116氏にも成り拡がりました。

この116氏は藤原氏赴任地24国に広がって定住しています。これは子孫を土地の豪族との血縁を行い、その分家をその赴任地に遺すという藤原一門の戦略でした。
お家は、多分、武蔵国から、藤原秀郷流青木氏の総本家より、さらに梅鉢紋の青木氏本家に指示が与えられて差し向けられた分家一門です。そして、その更に分家が土地に残る仕組みでしたので、お家はこの分家に当る藤原秀郷流青木氏です。

梅鉢紋の菅原氏は901年に菅原道真が藤原時平の左大臣に追い落とされます。そして、大宰府に配流させられます。この時、時平と北家同門の藤原秀郷(959没)の一門の青木氏は存在し、この後、藤原の基景に同行(1100頃)してこの伊勢に赴任します。この時、既に道真の末裔の菅原氏との縁組が出来分家筋もいて伊勢に赴任していますから、およそ、1020−1050年頃の前半に血縁をしている事に成ります。(1200年頃は一時、藤原秀郷一門は鎌倉獏樹立で衰退飛散する)

900年以前は菅原氏は小さい氏で学問所として存在していましたので、青木氏との血縁は家柄上ありえませんし、藤原氏の青木氏は存在しません。又、この頃はまだ菅原氏の家紋は定まっていないと見られます。

平安中期頃は家紋又は象徴紋の持ている家柄は余り多くありませんでした。一般の主な氏の家紋としては平安末期か鎌倉時代の事です。一般武士は下克上と戦国時代過ぎての室町末期から江戸初期のことです。

菅原道真氏(903没)は醍醐天皇に引き上げられた頃に象徴紋として定めたものですから、末裔が家紋としたのは、980-1000年頃ではないかと見られます。(世間の主な40程度の氏が家紋化した時期)
藤原秀郷流青木氏116氏の中でも、中堅ところの梅鉢紋青木氏ではと考えられます。

伊勢は「半国司」と称して、伊勢は天領地ですので、天皇は特別に勲功のあった者に半国司として任じ石高を分け与えました。
伊勢北部伊賀地方と永嶋地方と本領地の松阪です。全体は松阪の伊勢青木氏が647年から守護でした。
お家は、この永嶋地方の護衛役として勤めました。
藤原秀郷一門は全て浄土宗で、この頃は天皇家と血縁を持つ藤原氏や青木氏しか入信できない特別の宗派でした。地方に出た一門は従って限られた土地にしか浄土宗の寺はありませんでしたので、浄土真宗としました。
平安中期に基景に同行した藤原秀郷流青木氏が当時の菅原氏と血縁をした梅鉢紋の伊勢に定住した青木氏です。筆者は伊勢松阪の青木氏総宗本家です。

お墓の件ですが、伊勢は3度の大火災に見まわれています。
最後は明治35年です。伊勢の大化です。
その前は有名な信長の永嶋攻めです。天皇家や藤原氏や青木氏の等の高位の氏の殲滅を目的とした全滅の焼き討ちでした。
この時、永嶋「半国司」の豪族北畠氏との戦いでしたが、伊勢青木氏を始めとして、藤原秀郷一門の伊藤氏やお家の先祖の藤原秀郷流青木氏や二宮氏の末裔の鳥羽の青木氏や伊勢北部の伊賀氏などが合力しました。有名な戦いです。主に3つの戦いがありました。
この時の中心と成ったのが、天正の乱など小説や歌舞伎で有名な「名張の小太郎」「伊賀の小次郎」伊勢紙屋長兵衛(青木長兵衛:青木民部尉信定)の伊勢青木氏でしたが、お家の青木大膳なる者も大いに戦いました。このお家の一部の青木氏は元の総本家の故郷の埼玉千葉に逃げ延びました。
この様な3度の焼き討ちでお寺やお墓が不明に成っていることが多いのです。

1670−80年頃ですから、お家の藤原秀郷流青木氏の菩提寺とお墓は今わかりません。
私の先祖の菩提寺も3度火災に合い、3度移転していますので、なにもかもなくなりましたが、現在は確認出来ています。元は伊勢青木氏の独自の菩提寺でしたが、江戸から現在までに紀州徳川氏の墓所で一般の人の墓もあります。この様に、他の2氏の青木氏に関する事は私には現在把握できていません。

経緯から、鳥羽の龍泉寺は曹洞宗ですので、消失後の寺ではと考えます。その前の鳥羽永嶋の浄土宗の寺を探されたら本家筋のお墓は存在すると思います。

参考 本照寺(真宗)、天真寺、天徳寺、金胎寺、常安寺、済生寺、妙性寺、そして、龍泉寺が鳥羽にあります。この内のひとつではと思います。調べられて浄土宗か真宗を選択してください。

尚、不確定ですが、鳥羽2丁目付近に昔青木という地名があったとする話があり、この付近に当時、青木村を形成して住んでいたと見られますので、この付近のある浄土宗寺とする条件が有力です。
上記の寺の一つの浄土宗か真宗の菩提寺であろうと考えます。

見つからなければ、伊勢の藤原基景の末裔伊藤氏の菩提寺付近にある本家筋のお墓がある可能性もあります。本家筋でなければルーツと墓所は見つからないと考えられます。
そこから戻るのが普通のルーツの調べ方です。

私の調査でこの地方にも現在もお家の本家筋の青木氏が多く存在している事を確認しています。
場合に依っては、浄土寺は近江、奈良、伊勢、美濃、信濃、甲斐、武蔵、横浜、神奈川、栃木には多くありますが、よって、松阪市、玉城市にも多くの浄土宗の寺が存在していますので歴史的経緯からも調べてみる必要もあります。
必ず、伊勢の鳥羽付近には、特別な氏でしたので、お家の本家は存在しますし、寺も確実にあります。私も調べてみます。
何かわかりましたら、お知らせください。ご不明な点が有りましたらご遠慮なくお尋ねください。

参考として、藤原秀郷流青木氏に関しては「藤原秀郷一族の生き方」、「青木氏と血縁族」、「家紋掲示板」の梅鉢紋、研究室の検索で、全国の青木さんからの投稿も沢山ありますので、ゆっくりとお読みください。特に「藤原秀郷の一門」に関する所をご覧下さい。



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