宮崎の青木さん
今晩は。お久しぶりですね。
進言レポートの件は、既に昨年10月1日に読んで頂いて、お家の丸つき紋の笹竜胆紋に変更されています。
ご兄弟の青木さん 野球活躍されていますね。
教えていただき以後応援しています。
又、何か有りましたら、お便りください。
出来るだけ新しいレポートを提供するつもりですので、お読みください。
現在、仮称の「温暖化の裏話」を時事放談で執筆中です。
青木氏に関してのレポートは「青木氏の家訓」の3に入ります。これ原稿編集中です。(現在家訓2です)
追伸
前回のお答えの中で、お家の元祖系譜となる配流された源氏の者の詳細の人物が書き漏れていましたので、追記します。
源広綱、頼政の子
源宗綱、頼政の孫
源有綱、頼政の孫
(源高綱、頼政の子?)
以上三人が1180年の以仁王の乱の敗戦で平家に配流される。
三人は廻氏に匿われる。
大隈の国に簡単な仁田尾城を築城して反乱した。
別に景綱(野州)、盛綱(勢州)、宗綱(能州)に配流
頼政、中綱、兼綱、仲家、仲光、石川有光、足利義房、一来法師は討死
宗綱に関しては能州に配流との説もあり、生き延びたの説もある。
高綱は討死に説もある。
ただ一人子孫を源氏宗家の遺す為に、頼政の3人目の末孫(京綱)は同族の最古の伊勢青木氏の跡目に入れて平家の掃討を逃れて子孫を遺した。
従って、お家の青木氏は広綱か有綱が元祖となります。
つまり、この元祖に付いては伊勢青木氏の京綱(筆者)とは叔父と兄に当ります。頼政の子孫と成ります。
頼政は、清和源氏の経基ー満仲ー頼光より4代目 頼政ー(仲綱): 総宗本家
以上の情報を追加します。