Re: 資延 家 系図
副管理人さん 2008/07/12 (土) 09:24
資延功さん 始めまして。
ようこそ青木氏サイトにお越し頂きました。これからも宜しくお願いします。
さて、資延氏のつながりが少しづつ解明されてきてよかったですね。
青木氏サイトでも、専門では有りませんが、(調べましたレポートを既に記載していますが、)藤原氏から資延氏が出ている事が判っています。
功さんのお便りから四国の綜紋「下がり藤紋」の剣片喰紋の氏で有る事が判明しましたね。資延頁さんが四国讃岐に住んでいてその家系図をお持ちとの事ですね。綜紋「下がり藤紋」剣片喰紋等は讃岐から出て、瀬戸内を支配した大豪族で廻船問屋を手広く営み明治維新頃まで続いたと成っています。ここには下がり藤紋を綜紋とする剣片喰族等の讃岐籐氏の一門の藤原秀郷流青木氏が居て、その勢力は美作、備前、備中などに子孫を広げています。
従って、この一族とは同族に当る事に成ります。比叡山を下山して讃岐籐氏を頼り讃岐に定住した讃岐籐氏の末裔が資延氏をなのったとすることに成りますので、貴殿のお便りと当青木氏のレポートと一致します。これで青木氏のレポートつなぎ合わせれば平安時代から現在までの系譜が取れた事になりますね。
青木氏サイトがお役に立ててよかったです。突き詰めれば、現在、現存される綜紋「下がり藤紋」の剣片喰紋等の讃岐籐氏の藤原秀郷流青木氏とは縁続きであったことを意味しますね。(研究室の検索で「讃岐の青木さん」のお便りなどをお読みください。阿波、土佐にもこの一族の方たちからのレポートも沢山ありますよ。
お便りからすると、この讃岐籐氏と藤原秀郷流青木氏の末裔のお家が大廻船問屋を閉めたときに同一族の資延氏が北海道に渡った事になりますね。讃岐籐氏のこの青木氏とも繋がりを持っていて運命共同体として働いていて、それが理由で北海道に移動の仮説がうまれますね。
又何か有りましたらお便りください。お待ちしています。