青木ルーツ掲示板
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  [No.517] Re: 源氏の長嶋氏
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/06/04(Thu) 10:38:18


埼玉の長嶋さん 今日は。始めまして。
ようこそ、青木サイトにお越し頂きました。

これからも宜しくお願いします。

この青木サイトは全国青木氏に関わる歴史的史実に基づく史料を提供して消え去る青木氏に関する知識を呼び戻そうとする努力をしています。
そして、その事によりご先祖に対しての尊敬の念と、強いては自分への尊厳を抱いていただく努力をしています。
多くの青木さんと青木さん以外の方からのお便りが沢山届いています。
当然、歴史的に青木氏と関係した同族一門の事もレポートしています。

そこで、元親族であった藤原秀郷一門主要5氏の事も研究し詳細をレポートしています。
これは青木氏を理解する上で、最も大切な事です。ご先祖の生き様を観る事によってご先祖を理解し、現在ある自分を理解する事に繋がります。それが自分の尊厳に結び付きます。

この考えから行きますと、貴方様が仮に藤原秀郷流長嶋氏であるとすると、青木氏の事もご理解いただくことが長嶋氏のご先祖を理解する一つになると考えます。
是非、青木さんと同じく長嶋さんサイトと思われて、青木氏に関するレポートをお読みください。
また、ご質問、ご不明点、疑問点など有りましたら、ご遠慮なくお尋ねください。
お待ちしています。

さて、お話を読まして頂きました。
歴史にご興味あるとの事ですが、情報が少ないので確実な事はいえませんが、藤原秀郷流永嶋氏であるとして、貴方様のご先祖の情報に少し疑問点があります。

既に、「藤原秀郷主要5氏と家紋の研究」のレポートをお読みに成ったとおもわれます。
そこで、藤原秀郷流永嶋氏(長嶋氏)は藤原秀郷一門主要5氏の一つですが、この永嶋氏では、”長嶋”と名乗るのは、藤原秀郷の宗家末裔の藤原朝光の結城氏系長嶋氏です。
同じ一門の佐野氏系永嶋氏主流は”永嶋”を名乗っています。

そこで、下総の結城の藤原秀郷一門ですが、その長嶋氏が何故に藤原秀郷宗家(武蔵国入間)のある武蔵国比企郡にあるのか。
確かに、藤原秀郷一門は武蔵国の入間を中心に神奈川横浜を半径とする範囲に、藤原秀郷流青木氏(第2の宗家)の116氏が螺旋状に取り囲み護りました。従って、武蔵国を取り囲む様にその他の主要4氏は夫々の土地に配置されています。
藤原秀郷流永嶋氏の長嶋氏は下総結城であるはずです。

次ぎに、この長嶋氏が源氏を名乗るのは疑問です。
確かに、レポートの家紋には笹竜胆紋との血縁をしていますが、これは皇族賜姓青木氏です。
藤原秀郷一門一族は母方で賜姓源氏と賜姓青木氏とは繋がっていますが、直接源氏と繋がる又は名乗るに基づく根拠は有りません。史実上、歴史的に信濃足利氏と甲斐武田氏と血縁していますがあくまでも間接で直接血縁はありません。
藤原秀郷宗家は北家貴族で北家摂関家とは縁続きです。よって母方では源氏と綱駆る事に成りますが、
わさわざ、貴族で公家の藤原氏の上に源氏を名乗るのは当時の慣習からあり得ません。
主要五氏は誰も名乗っていません。

次ぎに、家紋ですが、下がり藤紋です。
下がり藤紋は当初藤原氏の家紋でしたが、ある事があり、”下がる”を忌み嫌い、藤原氏四家はこの下がり藤紋を使う事を止めました。ところが、藤原秀郷だけがこの下がり藤紋を使う事を続けました。
この家紋を使用を続けたのは秀郷一門の宗家筋7氏だけです。
藤原秀郷一門一族は361氏と膨大な氏にて構成しています。
ながでも、「第2の宗家」である藤原秀郷流青木氏は116氏です。秀郷流永島氏は34氏です。
この様に多いう氏である事からこの主要7氏が使う下がり藤紋は総宗本家とこの主要7氏の宗家だけが引き継ぐ家紋でこれを「綜紋」と云います。
よって、秀郷一門の永嶋氏の結城氏系長嶋氏はこの「下がり藤紋」は使用していません。
永嶋氏のレポートの家紋類をご覧下さい。
本家だけが使う家紋です。
そうなりますと、結城にある本家の永嶋氏の一家は下がり藤紋ですが、比企郡にある貴方様の長嶋氏は下がり藤紋の綜紋を使う事は疑問です。
藤原秀郷一門は下がり藤紋は宗家だけで、後は夫々のツリーの本家の一家だけは副紋方式を使う事に成っています。ですから、7氏の宗家本家だけが引き継ぐ綜紋ですので、副紋も使わず下がり藤紋だけの藤原秀郷一門の氏は入間の総宗本家だけです。としますと、お家の永嶋氏でない結城氏から出た二つの内の一つが総宗本家となりますので矛盾です。長嶋氏には使用している家紋があります。
もし長嶋氏でその本筋の長嶋氏であればその家紋を引き継ぐ事に成ります。ツリーを飛び越えて下がり藤紋を使う事はありえません。

次ぎに宗派ですが、藤原秀郷一門一族は本来は浄土宗です。
ただ、赴任地24地方に定住した秀郷一門の末裔は、限定された国にしか浄土宗寺はありませんので、止む無く、土地にある浄土真宗に仮に入信しました。
藤原氏秀郷一門等高位の家柄身分の氏が入信できるのが浄土宗でした。よって限定された所にしか寺が存在しないのです。当然に、赴任地から戻ると元の浄土宗に戻ります。
真言宗は藤原氏北家の京の摂関家の公家貴族が入信した宗派です。
武蔵国で藤原秀郷一門で、且つ真言宗はあり得ません。
多分、宗派変え(改宗)があるとすると明治初期以後と成ります。

次ぎに、史実から観て範頼は疑問です。
しかし、室町末期から伸し上がった者が家柄を良く見せる為に、搾取偏纂をしてルーツを創り上げるブームが起こりました。徳川氏等もこの手を使いました。有名な史実です。
室町末期に豪族となった氏は殆どこの手を使いました。
この現象は室町末期。江戸初期、明治初期の3期に起こったのです。
名門の藤原一門、青木氏、源氏等を名乗ったのです。これ等を「未勘氏」と呼びます。また、少し違う意味でも「第3の氏」と呼ばれています。
この現象は、”ある日突然に村或いは郡の人全体が同じ姓を名乗った”と云う事が起こりました。
特に、その名門の定住していた地域で、3期に起こったのです。

これ等の事は全てレポートにしていますので、右メニューの「青木氏氏 研究室」の藤原一門関係のレポートと「青木ルーツ掲示板」にも仔細事をお便りを通じて記載していますので参照下さい。
レポートは膨大ですので、ゆっくりと少しづつ楽しんでお読みください。

藤原秀郷一門の事等は、他のインターネットサイトでは無いと思いますので、大いに本サイトをご利用ください。

お便りからの範囲で検証いたしますと、以上のことが浮かびあがります。
歴史がお好きでありましたなら、この辺の疑問を推理を立てて解き明かすのも楽しみの一つでは有りませんか。それが歴史好きの醍醐味ですね。
忌憚の無い所をはっきりと申しあげましたのも同じ歴史好きの立場とご理解ください。

研究した一人として、老婆心ながらご忠告いたしますと、室町末期からの史料、特に江戸期に編纂されたものには「搾取偏纂」が殆どですので、注意をしてルーツの探求などではめがねをかけて観られることが必要です。
多分、マニアでないと確認もなかなか難しいでね。比較する確かな史料と研究が無いので。
土地の史料館でもこの搾取偏纂の史料を下に創り上げているところがありますので、相当研究している土地の資料館でと成ります。私も随分苦労しました。矛盾だらけになってしまうのです。

ご質問、など有りましたら、ご遠慮なお尋ねください。
では、又のお便りを心よりお待ちしています。



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