渡邊さん 始めまして。
青木サイトにようこそお越しいただきました。
これからもよろしくお願いいたします。
さて、歴史を趣味としている者にとっては大変興味深い事柄です。楽しく読ませて頂きました。
青木氏氏のサイトには藤原秀郷一門の事柄を研究して多くのレポートを準備しています。
藤原秀郷流青木氏に関わる主要氏のことを詳細に把握していますが、残念ながら、渡邊氏までは行き届いては居ません。
確かに、奥州山形付近には藤原秀郷一門の青木氏が定住していますので、宗家に関わる一族がこの地に定住していた事は史実です。
「藤原秀郷主要5氏と家紋の研究」のレポートにもこの越後や山形の事は詳しくレポートとしていますが、渡邊氏までは把握できていません。
経緯から充分ありえる事ですので、手持ちの史料から渡辺氏に繋がる事がないかを調べましたが見つかりませんでした。
これからも、更に調べてみますので、判りましたらお知らせいたします。
義経の件は青木サイトでもその逃亡の経緯などを研究してレポートしています。確かに、奥州に逃げ込んだ事は確かなようで、義経一行(鈴木兄弟2人が同行)を匿った土地の庄屋を「判官さん」と呼称されていたと伝わっています。奥州藤原氏を頼った事は確かです。
最後は新潟の海岸から渡りモンゴルに逃げ込んだとされています。モンゴルのチンギスハーンの紋章は源氏の綜紋(青木氏の綜紋)の笹竜胆紋と酷似しています。
モンゴルの古い記録にはどの部族にも所属しない者が突然何処からとも無くやって来て頭角をあらわし、モンゴルの首長よりその指導力が優れていた為モンゴル族はこの前の首長を排除してこの者を首長にしたと記録されています。この者は常に2人の家来を伴なっていたと。
このことは研究室の「鈴木氏」の研究レポートに記録しています。
余談に成りましたが。
何か、ちょっとしたことでも有りましたら又お便りください。
青木氏氏がお手伝いさせていただきます。