新潟の青木さん 今日は。
始めまして。
サイトのレポートをお読み頂いているとの事ですが、これからも楽しんでお読みください。
さて、新潟です。越後国は立てに長いので色々と歴史的変化のあったところですね。
ここは藤原秀郷一門ではなくて、藤原利仁一門の国ですね。
この利仁一門とは藤原秀郷流進藤氏が大きく関わりました。
「藤原秀郷主要5氏と家紋の研究」で詳しくレポートしています。
まだ、お読みで無い場合はここを先にお読みください。
実はこの越後の出羽との国境と信濃の国境には青木氏が定住しています。
信濃側では足利氏系青木氏が青木村を形成して定住しています。
出羽側では藤原秀郷流青木氏が小さいですが定住しています。
お家のご先祖が江戸中期以前に何処にお住まいであったのかが問題に成ります。
出羽側では藤原秀郷一門と阿多倍一門(平族京平家)との争いで、この地域は後に奪われましたので青木氏は少ないのです。
出羽陸奥は藤原秀郷一門の鎮守府将軍としての赴任地ですので秋田側には青木氏が定住しています。
この一部が移動したものと考えられます。
信濃側では国府に皇族賜姓青木氏、北にこの一族と武田氏との血縁族足利系青木氏が村を形成しています。南には駿河の藤原秀郷流青木氏が定住しています。
諏訪地方には諏訪族青木氏が定住しています。
この越後には利仁流一門が居ましたので浄土宗寺はあります。
仮に出羽側と信濃側の青木氏とすると、何故浄土真宗なのかの疑問が出ます。
信濃側での浄土真宗の青木氏は全くありません。
秀郷一門は赴任地の事情で浄土真宗に仮入信しました。しかし、浄土宗に戻しているの大方です。
年代としては960−1185年と成ります。
明治以降では移動が自由になりましたので、これで移動していますが、お家は何時越後に定住したのかが大事な点です。
歴史的な史料が無いとの事ですが、先ずは浄土真宗であるとすると、明治で何れかから移動してきたとも考えられます。
武士として江戸時代前後の大名の移動としても考えられますが、もし、そうであるとすると明治はじめの戸籍簿に士分とあるか平民とあるかの確認を先ずなさられる事が「第3氏」であるかの判定に繋がります。
それで、地域性もわかります。
では、ご質問等有りましたらお便りを下さい。