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  [No.621] Re:家紋の質問 (綾戸さんから)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/09/07(Mon) 07:23:48


母方の実家の綾戸さん

今日は。 始めまして。
貴方の姓が判りませんので、とりあえず綾戸さんとしてお呼びします。
青木サイトによく御越し頂きました。これからもよろしくお願いします。

さて、お尋ねは綾戸さんのルーツですが、残念ながら全く判りません。

余りにも情報が少ないのでなんとも致し方有りません。
そこで家紋の判断ことですが、この家紋は限られた氏が使用した家紋です。
元は中国の官服の袖文様として用いられたもので、一説にはボケ木瓜、胡瓜と云われていますが正しくは官服文様です。
日本では最初に使ったのは車紋としての象徴紋で、徳大寺氏です。これが後に、多くの豪族や旗本など160氏以上が使用しました。

この内、横木瓜紋を使用した氏を観ると、越前から岐阜一帯域縦に分布します。
その中でも、この横木瓜紋の代表的な氏は田中氏、大原氏です。
この多くは、織田信長の家紋の織田木瓜や朝倉氏の朝倉木瓜や日下部氏(草壁)紋と言われるように元は越前、信濃、美濃に住んだ平家一門の支流末裔です。

これと綾戸氏とはどの様に繋がるかは判りません。
参考として、綾の姓を使う氏としては元は「綾部氏」が多いとされています。
つまり、大化期に中国後漢が滅び、初代光武帝より末帝21代献帝の子供阿智使王とその孫の阿多倍王が中国17県民を引き連れて200万人が日本に上陸して帰化しました。
この時、技能集団の綾織をする技能集団がありました。この集団を当時「綾部」と呼びました。
「・・部」はその技能の後ろに「部」付けて呼ぶ技能集団の呼称でした。海の幸を採る「海部」、服を作る機械を作る「服部」等この集団の首魁が阿多倍王でした。
日本書紀にも出て来る人物で日本の66国の関西以西32国を支配する勢力を持っていました。
この首魁阿多倍王の孫末裔「平国香」より5代目が「平清盛」です。
その帰化技能集団の多くは当時未開の美濃信濃域に配置されました。
ですから、この域に平家の支流末裔が多いのです。
恐らく、後に綾部氏から綾戸氏と変わっていったとも考えられます。
そこで、綾戸さんの家紋は丸付き紋ですので、更に、これ等の支流のさらに支流と言う事に成ります。
比較的新しい氏と観られます。

日下部氏がこの木瓜紋を使っているところを見ると、「草壁」から日下部氏に変化したものと考えると、滋賀地方も入る事と推測できますが正確には判りません。

兎も角も、家紋に入る前には綾戸氏のご本家のご先祖の菩提寺を探されて、その寺にある「過去帳」を見せて貰う事から始めるのが一番はっきりとすると思います。家紋はこの前提に立っていますので。
一番古い人を見つけ、その人の生きた時代状況を特定して、そこから地域を推理特定して行けばこの家紋にたどり着く事が可能に成ります。そこで、人時場所の特定からの「歴史的な史実」から割り出せば出て来ると考えます。
江戸末期であれば資料も残っていますのでたどり着く可能性があります。

「歴史的史実」の知識はなかなか個人的には把握するには困難です。専門的に長い研究からの知識での判断が必要です。
家紋だけでは無理でその元と成る歴史な史実が必要です。その前の綾戸さんのルーツを見つける事ですね。
その時には、「歴史的史実」で青木氏サイトもご協力できると考えます。



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