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  [No.714] Re:この家紋は何でしょうか?
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/07/23(Fri) 17:11:51
Re:この家紋は何でしょうか? (画像サイズ: 179×320 0kB)

青木サイトにようこそお越しいただきました。
これからもよろしくお願いします。

画像は画像掲示板から確認ください。

家紋掲示板に投稿して頂きましたが、本当に申し訳ありません。
この掲示板は本来はできるのですが以前スパム攻撃されまして掲示板が破壊されてしまったのです。
その為に画像の添付が出来ない様にしていました。
橋富さんの原因ではありません。
本当にご迷惑をお掛けしました。
様子を見て戻すかを検討します。

さて、お尋ねですが、唐花文様ですが、お便りの通り「変わり文様」です。
そもそも、家紋の文様は縁起を担いでいまして、昔の中国の五行思想から来ているものです。
従って、奇数が縁起が良いとされています。
しかし、家紋が多く作られた時期は主に4つの時期に分かれます。
平安期、室町末期、江戸初期、明治初期となります。
江戸初期までの家紋はこの思想を守られています。
しかし、明治初期の3年と8年の苗字令、督促令の時期の家紋は苗字や家紋の持たない庶民が家紋を作ったのですが、この思想に縛られることなく家紋にしました。
偶数紋はこの時期のものが殆どです。
6つの唐花ですので、明治期のものと思います。

次に唐花文様は昔の中国の官僚の身分や役職を表す手段として文様化して使われました。
架空の文様です。多説がありますが、木瓜の花を模倣したとの説もあります。
官服の太い大きい袖口に官職役職をわかりやすくするためにこの文様が用いられました。
しかし、日本に奈良時代に入りましたが、初期は朝廷での祭祀に使われたのです。
それが象徴紋や限定した家紋に使われたのです。
この時、日本では朝廷と公家等にこの唐花が図案化されて使われました。
しかし、中国では後に次第に一般に使われ服の文様としてこの唐花文様が使用されました。
丁度、その文様が、お家の家紋に使われている様な文様なのです。
図案化されたものではなく普通の唐花文様なのです。

この事から、明治前の江戸期には中国との関係が維持されていたのは長崎ですから、明治期に家紋化されたとしますと、多く唐花文様が多く使われていたのは長崎となりますから、この唐花紋を用いたとすると長崎で商いをしていたことを物語ります。
長崎以外ではこの唐花の6つ文様は使わない筈です。
それは、そもそもこの文様は主に天皇家の祭祀に使用する文様として遠慮して使わなかったのです。
使えたのは明治期と長崎の2条件しかないと考えられます。

ただ、戦国時代に甲斐武田氏の4つ割り菱紋を唐花紋に似せて式典用として用いた事があります。
この根拠は公家一条氏の末裔と名乗ったことから遠慮なく使ったのですが。

当然に奇数の家紋としなかった事、図案化の唐花文様としなかった事の2条件と、武士ではない庶民とりわけ商人である事の5つの条件が成立します。
更に、ご先祖は酒屋さんであるとの事ですので、商家の商紋として使っていたのですね。
明治期でもまともに家紋化出来た庶民は財力のある家と限られています。

家紋化は莫大な費用が掛かりますので、庶民では明治期では殆どは他氏の家紋の盗用か類似紋かでした。
墓とか幔幕にこの家紋を使用するという慣習が庶民にも流行しましたので、手っ取り早く類似、盗用が起こったのです。
しかし、お家はこれではなく、この上記した5条件に完全に一致しますので、お家の橋富さんの氏姓の限定された範囲で広がった家紋となります。
日本全国7000−8000の家紋がありますが、地域限定の家紋となりますので全国に広がっているとは考えられませんね。明治期からの100年程度の経過期間ですので、全国には広がっている可能性はないと思います。従って、家紋便覧などには載らない家紋となりますね。

依って、これからは家紋名は仰られる通り、「丸に変わり6つ唐花紋」と名づけられては如何ですか。
家紋の呼び方通りに従いますと。

これに良く似た文様で同じ経緯を辿ったものとして、東北北陸地方で明治期に使用された雪の結晶を図案化した限定された文様として雪紋等があります。あまり便覧には乗っていませんが。
あくまでも推測ですが、唐花は唐花なのですが、ご質問の文様の芯部の文様は雪の結晶を図案化したこの雪紋に酷似しています。
念の為に、この雪紋は「六出状」と呼びまして、これを基本としますが、この基本に草紋を組み合わせるのが特徴なのです。この家紋形式は「風雅、優雅」を出し、通常、家紋からは「女紋」と呼ばれるのです。
そして、食物と組み合わせる事で「五穀豊年の瑞兆」とされました。
昔の平安期初期の朝廷の「行事紋」にはこの方式を用いたのです。

ご先祖が酒屋さんでしたので、長崎の唐花と雪の降る北陸地方から来ている杜氏(酒を造る人)の意味合いを込めて作られたのではとも思いますし、合わせて、お酒のお米の豊作を願い、長崎の国状を出し、優雅さを加えての高度な家紋としたのではないかと観ています。

もし、ご先祖がこの雪紋に似せたとすると大変珍しいく高度な家紋なのです。
出来うる事ならば、私はこの説を採りたいと思います。
唐花紋ですが、ご先祖の素晴らしい優雅な見識を垣間見れた感がします。そしてその生き様を表すものとして、何か子孫にその伝言を伝えている様な気がします。
何がしかの説明文と家紋名を明示して大切にこれからも維持される様心からお願いします。
素晴らしい伝統の証となります。

以上ですが、ご質問などありましたら、ご遠慮なくお尋ねください。



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