青木ルーツ掲示板
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[掲示板トップ(ツリー表示)] [新規順タイトル表示] [新着順記事] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

  [No.728] Re:愛知の青木について
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/07/30(Fri) 12:16:15

>
> ちなみに柏紋は神紋といわれていますが、蔓柏紋と神社は繋がりはないのでしょうか。

お読み頂けましたか。ありがとう御座います。

さて、早速ですが、お尋ねの件の柏紋と蔓柏紋との関係ですね。

それでは、先ず柏紋からその由来を記述します。
研究室の「青木氏と血縁族」(家紋 柏紋)をお読みください。
昔、太古では食器に、奈良時代にはこの葉は大きく旅等にはこれを食器にしていました。
そして、これを素手で食べていた事が判っています。「随書倭国伝」に書かれていますし、日本書紀等にも天智天皇と皇位継承問題で争った有間皇子が蘇我赤兄に熊野古道の熊野神社の社領の第1の鳥居のある第一神社の藤白神社の直ぐ近くで絞殺されます。この時、読んだ辞世の句にも葉を使ったと書かれています。

結論から元は柏ではなく、槲(かしわ)の葉で蔓が付いていました。
槲は関西地方に生息する茨の一種で丸いハート形をして大きさは人間の掌程度の大きさです。関西では「かしわの葉」と云えばこの葉の事を云います。この槲葉には蔓紋と同じ形の蔓があります。
この葉は神様や仏壇等に食べる物を備える時にはこの葉の上に置いて供える習慣があります。
この神事の名残として、5月の子供の日等にはこの2枚の葉で「あんこ」の入った柔らかい団子餅を挟んで蒸して供えたものを食べる習慣があります。
まだ関西の高級料亭等ではこの神事の習慣が残っていて、会席料理の食べ物の下に敷く食器代わりのものとして使われて遺されています。最近都市化で少なくなりましたので苦労している様です。
この葉の事を「さるいばら」方言で(さるびたち)と云っていましたが少なくなった事で忘れられてしまいました。関西(平安の習慣が遺されている主に紀州奈良)ではこの葉を使う習慣が多く遺されていて、柿の葉、からす瓜の葉、紫陽花の葉、あけびの葉などまだまだ沢山あります。
従って、蔓の付いた槲なのです。しかし、鎌倉時代頃からは関東にないこの槲葉は関東に生息する柏の木の葉に成っていたのです。そして、家紋も「柏の葉」に変わっていったのです。
槲の紋は平安の時代から丸く書かれ、柏は鎌倉の時代から細く書かれているのはこの結果から来ているのです。太紋はこの紋に成ります。この例として熱田神宮の傍系末裔の山内一豊の家紋は三つ柏の細紋です。

上記の習慣から太古の世には朝廷の食事を用意する夫を「膳夫」(かしわで)と云いました。
この事から神事に御供えするものにこの槲の葉を使われたことから、槲の柏を「杜の神」として神聖視されたのです。
以後、朝廷の伝統として神事にはこの葉を使用された事から、神職の家がこの槲と柏の葉を紋様化して家紋としたのです。
「神紋」というよりは「神官職紋」と成ったのです。

天皇家の皇祖神の神明神社の伊勢神宮を始めに、熊野神社系の神職の氏も使用するように成りました。その後これに習い、熱田神宮、宗像神宮、吉田神宮、吉備津宮等の神明系が柏紋を神官職紋にしました。
伊勢神宮の宮司久志本氏、熱田神宮の千秋氏、宗像神宮の宗像氏、吉田神宮の吉田氏と卜部氏、吉備津神宮の大守氏がこの家紋を使いました。
当初は上記の様に柏の葉だけではなく蔓も付けた槲紋でした。これを元は「三つ葉槲(柏)」と呼んでいたのです。
その後、時代が平安から関東に移りこの蔓がなくなり、今の柏の三葉紋と成りました。ですから、神職紋としては「柏紋」より「蔓柏紋」の方が古く正しい文様なのです。

そこで、平安初期から上記したこの神官職の間では相互に血縁関係を結びました。
神明関係の神社は大変青木氏が多いのです。
伊勢神宮は伊勢青木氏の守護地でこの伊勢神宮を護っていた氏ですし、皇祖神は自らの氏神でありますので身内から神官職を司ったのです。各地の主要神明社の多くは青木氏で蔓付きの槲紋です。
吉田氏も奈良の古くから朝廷の祭祀を司る神職でした。
室町期の山内氏は熱田神宮系の傍系です。
この柏紋を類似変紋して家紋とする氏はこれ等の末裔血縁氏が多いのです。山内氏、牧野氏、中川氏、蜂須賀氏等あります。150位はあると思います。多くは江戸初期に旗本や御家人がこの変紋を使用したのです。
そこで、原型の三つ蔓柏紋を家紋としているのは当然に多くは青木氏で、朝廷神職官僚の吉田氏と、それらの神明の血縁関係のある末裔と見られる山本氏や長田氏です。
古い氏の青木氏には、二つ葉と三つ葉の蔓柏紋があります。

全国神明関係の神社は今は数えられないほどにありますが、始まりは伊勢賜姓青木氏から近江、美濃、信濃、甲斐の地に、他に19の天領地にある主要神社は多くは青木氏です。この青木氏が各地の神社と血縁関係を結んでいるのです。
従って、神職関係の柏紋には青木氏の血が流れている事が考えられるのです。
吉田氏や宗像氏や千秋氏とは恐らくはつながっている筈です。少なくとも吉田氏とは同じ環境にいたのですから血縁関係はあったと考えられます。
前回のお答えの諏訪神社系(三つ立梶の葉紋 神紋)の諏訪青木氏(抱き角紋)の氏は皇族賜姓信濃青木氏の末裔ですのですので諏訪神社とも繋がりがあるのです。
二つ柏紋(柏の葉を向かい合わせた紋 抱き柏紋)はこの抱き角紋の諏訪族青木氏と繋がっています。

当然に蔓柏紋の藤原秀郷流青木氏ですが、この氏も赴任地の24の国に自らの氏神を持って神官職を務めていますので、もとより母方で繋がり、朝廷とつながっていますので、賜姓族の青木氏と三つ巴に相互血縁関係が成立しているのです。ですから、この藤原氏ルーツは蔓槲紋または蔓柏紋なのです。

「繋がり」という意味からは諏訪族青木氏の宮司青木賢清(抱き角紋)は蔓柏、柏紋と神職関係で繋がっている事にも成りますね。藤原秀郷系青木氏ルーツとして。
お家の蔓柏紋が神職関係に元あった事が確認出来れば、皇族賜姓信濃青木氏系の諏訪族青木氏とも三つ巴に繋がっていることにもなります。

蔓柏紋は藤原秀郷流青木氏の綜紋の「下がり藤紋」から神職になった時点で「蔓柏紋」に成って男系跡目に依って変紋なく、それを引き継いでいることを物語ります。

(神明神社は天照大神を祀る皇祖神で伊勢神宮が本社宮 伊勢青木氏  No706の函館の青木さんのご質問に詳細記述)

兎も角も、前回のご本家の維新戸籍簿や菩提寺過去帳などの確認をなさる事でこのお答えの内容を更に証明することに成ります。場合に依ってはご本家は吉田氏の様に神道であるかも知れませんね。
この様に、次第にルーツ関係の紐が解けてくることもあるのです。

又何か疑問、質問、不明な点が有りましたら、ご遠慮なくお尋ねください。



- 関連一覧ツリー (◆ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー