青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.1275
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Re: 千葉の青木です
副管理人さん 2008/06/07 (土) 07:30
>詳解ありがとうございます。家紋は「丸に違い鷹の羽」、確認できるだけで先祖は1700年頃から関宿で名主をしており、青木を名乗っているようです。平安時代、関宿には藤原秀郷の居所があったそうです。何か関係あるのでしょうか?よろしくお願いします。
>千葉の青木さん 今日は。
早速のお便りありがとう御座います。

さて、早速ですが、家紋は「丸に違い鷹の羽」との事。又ご先祖が関宿の名主で1700年代であった。
以上の情報から、考えますと、次のような事が出てきます。

先ず家紋ですが、「丸に違い鷹の羽」は家紋掲示板にもありますように、33紋中の一つで安芸の国に赴任し分家筋が定住した藤原秀郷流青木氏の家紋です。この一族は比較的一門としては新しい青木氏で、室町期に発祥しています。
平安末期に朝廷の命で藤原秀郷一門の青木氏が安芸に赴任して、土地の豪族の浅野氏との血縁をしたもので、定住した藤原秀郷流青木氏分家側に男子跡目が無くて、土地の豪族と成っていた浅野氏の分家筋から養子を取りました。一時、家紋掟により、男系筋のこの養子先の分家筋の家紋と成りますが、この養子にも男系の跡目が生まれず、結局、家紋は養子先の家紋となってしまいました。藤原秀郷流青木氏の方は女系と成った事を意味します。この場合、秀郷一門の家紋の「下がり藤紋」から外れて、「丸に違い鷹の羽」と成ったものです。

秀郷一門は24の国地方に赴任していまして、必ず土地の豪族との間に子孫を残す戦略を採っていました。一門のこの青木氏もそこで嫡男は武蔵国の入間に帰りますが、分家に当る弟筋を遺す戦術を採っていました。ところが、鎌倉幕府が樹立し、藤原一門は離職して多くは武蔵に帰りましたが、この時、残り、浅野分家との血縁を結んだものであると考えます。
その後、室町末期に何らかの理由で武蔵国の藤原秀郷流青木氏のお家のもともと居た本家筋が居る地方の野田付近に戻り、そこで、農業をしながら定住したものと考えます。ですから、野田の土地の豪族ですから、「2足の草鞋策」を採ったものでしょう。この様なパターは藤原秀郷流青木氏の場合大変多いのです。武士ではあるが、農業の手広く小作人を使って行っていたということです。
ですから名主なのです。名主はもともと土地の豪族であつたものが武士を捨てて農業をした者です。
通称、「郷士」と言います。ですから、農民でありながら、名前、家紋等持っているのです。

この武蔵、下野、付近の関東には藤原氏の「郷士」が多いのです。例えば「近藤勇」等は藤原一門の流を持つ「郷士」です。近衛軍の勤めをしていた藤原秀郷の末裔氏で「近」と「藤」で「近藤氏」の名なのです。藤原氏は役柄や土地の字を取りそれに藤原の藤を付けて何処の藤原氏か判る様にしたのが始まりです。近藤勇も大きな名主の家のうまれですね。

家紋と1700年代の名主である事から、平安期には「下がり藤紋」の藤原秀郷の主要一門の青木氏です。(「藤原秀郷一族の生き方1-13」などのレポートを参照して下さい。)
先ずはこの一族と思いますが、さて、問題は、宗派です。本来であればご本家筋は浄土宗です。
只、お家の場合には、キーワードは「安芸」です。
安芸に赴任した藤原秀郷一門の護衛役の青木氏には、この地域には浄土宗寺は有りませんでした。多くは、一門の浄土真宗にとりあえず切り替えました。中には、血縁先の宗派を使用する事に成った者もあります。
多分、確定はこんなんですが、養子血縁先の家紋と宗派を引き継いだものと考えられます。
多分、この浅野氏の分家筋の一部には曹洞宗であったのでしょう。この様なパターンは多いのです。
名主であったとする事がこれを裏付けます。名主で無ければ明治期か江戸初期の「第3の青木氏」であることにも成りますが。
前レポートの条件とはこのことを意味します。その条件(名主の郷士、時代性、場所がら)にぴったりと一致します。
宗派は曹洞宗は下級武士や農民などが入信した宗派です。江戸時代には大変な力をもちました。徳川氏も曹洞宗には苦労しています。関東では武蔵の国などで郷士を交えた武士や農民一揆などを頻繁に起しています。
名主で郷士であったお家は、この時代に農民を守る為に、この当時、良くあった宗派変えをしている事も考えられますが、ここは情報が無いので2つのうちのどちらかかを確定する事は現段階では難しいのです。
のこどちらかなのですが、仏壇がおありであれば、仏壇の形式が「浄土宗仏壇」となっているかを確認すると良いでしょう。仏壇は先祖伝来のものを長く引き継ぎますので、遺している筈です。特に本家筋では。宗派によって仏壇形式は異なります。
もし、浄土宗仏壇とすると、後者でしょう。曹洞宗仏壇では前者と成ると思います。
浄土宗は阿弥陀様ですので仏具に何らかのものが残っていることも在ります。

武蔵入間を本拠地として関宿にも藤原秀郷一門の居所や館が総宗本家の出先機関として当然ある事に成ります。これも条件ですね。

結論としては、藤原秀郷流青木氏であると観られます。

藤原秀郷流青木氏は主要9氏で、直系1氏、直流4氏、支流4氏で、116氏に広がっています。
お家は野田と成りますと、入間から外郭円の外側に成りますので、支流の分家筋に当ると思います。
本家の本家や分家、支流の本家や分家、その又分流の本家や分家と入間を中心に縁を描いて描いていますので、最も外側の護りをしていた青木一族ですね。野田付近は分流の本家か分家ですかね。

研究室に「違い鷹の羽」の一門の青木氏の投稿がありますので、検索で調べてみてください。
昔はご親類で付き合っていたことでしょう。


では、ご質問があればまたお便りください。

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