青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.1141
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Re: 先祖と宗教(キリスト教の教え−2 主題4)
副管理人さん 2007/10/20 (土) 10:07
4「キリスト経の教え」

 キリスト教の設問として、@番の続き、Aの問題の説明に入ります。

@ 他宗を少なくとも先ずは強く排他している事。
A 教えがかなり強引である事。
B キリスト個人を神扱いにしている事。
C 兎に角にも、”先ずは信じよ”である事。
D 人は全て悪の子供であると否定する事。
E 中間的考え(柔軟性)は無い事。
F 全体が闘争的な発想に成っている事。
G 特定者(若い者)には受け入れられ易い合理的な教えに成っている事。
H 先祖に対する考えは全体として希薄である事。
I 「民族的」と言う考えを認めていない事。

A番目の事です。(教えがかなり強引である事)
@の事がある故に、キリスト教は自説を教委するは当然の事でしょう。
「信じよ」を先ずはじめに来て居ます。信じなければ救われないと言う事に成ります。そんな不公平な神は存在しません。神は万民に公平ですから、信じなければ救われないとすると、それは神ではなく普通の人間のする事です。神を前提としている神が、人間と同じレベルであるとすると矛盾しています。
かなり、矛盾をはらんだ強引さを感じます。

仏教では、「信じよ」とは云っていません。般若心経でも、「悟れ」(理解)と説いています。
突き詰めると仏教の教えは「色不異空、空不異色」「色即是空、空即是色」であろうと考えます。
ここから全ての教義の発端が理解され解読出来ます。
つまり、この世はこの一つの教義であり、その「理解」から”人としての「行為と行動」が生まれ、強いては、人としての悩みは解毒するで有ろう”と説いています。

これは、信じなくても、この”理解が成せば成るほどに人としての悩みから救われる”としている訳です。
つまり、誰でも、仏教に帰依しなくても救われると言うことです。
この「理解」が得られた場合に於いて、”人は冷静で、正しい「心根」が得られ、それに依って、人の本来の正しいあるべき「道」が開かれる”と説いています。

これを学問として、仏教から「禅宗」(禅問答)と言う教義が生まれたのですから、「宗教」とするよりは「宗教学」(人生学)とする方が適切ではとも思います。このことからも、つまり、「教えが強引」からは程遠いものと成ります。
ここに、他教との違いが大きくあると考えます。「学問的宗教」とも云えます。
但し、ご利益信仰とは別にします。

日本人の仏教への「信心の姿」は、他教の姿とは違うのはこの点にあり、個々の人の「自由な姿」に委ねているところです。つまり、「色即是空、空即是色」の教えどおり、決められた「信心の姿」を自由にしている所です。イスラム教やキリスト教のように、”信心はこう云う姿ではなくてはならない”とする仏教の教義は何処にも有りません。好む範囲でやればよいという事でしょう。
この様に「教え」に対して、”信じよ、されば救われん。”の拘束としての強引さは有りません。「強引さ」は「色即是空、空即是色」の先ず第一教義の意に合致しません。

この背景は、物部氏と蘇我氏の戦いの後の結末と始末に関わる歴史的処理から来ています。
つまり、先ず、最初は朝廷が主体としていた「神道」を、「仏教」への宗派変えでは、一応は取り入れたものの朝廷の存続をも否定する結果とも成りかねず、過半数以上のそれまでの多くの「神道の民」の不満と反発を招きます。そこで生まれたのが、「神道と仏教」との「融合文化」の天智天皇による「天神文化」であります。(研究室の大化改新の新説への反論を参照)

(仏教導入の直ぐ後の天智天皇は、伊勢に国の守護神として伊勢神宮を建立し、「天神文化」を発展させた事で証明となり、各主要な氏は、氏神を建立し「神道」を誇示し、氏独自の先祖を祭る菩提寺をも建立して「仏道」とし2つの融合を図った事も証明)

つまり、宗教の「神」と民の間には、「仏」とするものを存在させて融合を計ったのです。そして、その「仏」は先祖であるとして身近な宗教としたのです。
これが「天神文化」です。この「天神文化」は現在までに引き継がれているのです。

この「天神文化の融合」が「仏教の教義」を緩やかにして、上記の[強引さ」を排除した所以でありますし、「仏教学的扱い」と成った所以もここから来ています。
又、他国の仏教国の教義とは違う点でもあります。

要は、「信じようが、信じなくても」、その「理解」の「行為と行動」の中で、「人としての道」(冷静で正しい)が生まれれば、「万民は救われる」と説いているのです。
そして、それは、”自ずと、「神」「仏」に自然に導かれる”としているのです。
さすれば、”死する時は、「4つのみ」から発生する煩悩を脱却した「仏」として、他次元で存在する”と説いているのです。仏教では基本的に故に強引さは有りません。

次はB番の事に続きます

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