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No.1150
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Re: 先祖と宗教(キリスト教の教え−9 主題5)
副管理人さん 2007/10/27 (土) 19:54
では、キリスト教の設問として、G番の続き、Hの問題の説明に入ります。
設問
@ 他宗を少なくとも先ずは強く排他している事。
A 教えがかなり強引である事。
B キリスト個人を神扱いにしている事。
C 兎に角にも、”先ずは信じよ”である事。
D 人は全て悪の子供であると否定する事。

5「仏教とキリスト経の妥協の余地」
E 中間的考え(柔軟性)は無い事。
F 全体が闘争的な発想に成っている事。
G 特定者(若い者)には受け入れられ易い合理的な教えに成っている事。
H 先祖に対する考えは全体として希薄である事。
I 「民族的」と言う考えを認めていない事


H番目の事です。(先祖に対する考えは全体として希薄である事)
この事は当然のことかも知れないし、Gでの論文としても充分考えられる事であると思います。

「数理的、合理的、論理的」(以後、定理とする)であるとする事は、「先祖」と言うテーマに対して、この思考を入れた宗教にすると、「定理」であれば不確定要素の多い「先祖」に対して説明が付け難いことに成ろう。又、付けたとして教義の矛盾が生じるであろうと思います。

兎に角、「先祖」に対しては、前論で述べた様に、世界の多くの民族の「先祖」には、その民族の特異性が必ずあり、且つ、譲れない、否定出来ない、事柄を持っている教義に成ります。依って、キリスト教としては何処の民族でも通用する「先祖」に対して一つの定型的な「定義と教義」を作る事は出来ない筈であります。

一民族の中の教義であれば、可能でありますが、全世界に布教伝導と言う野望と言うか考えが有れば、共通項である事が望ましいと言えるでしょう。

その根拠として、次のような事に成ります。
そもそも、ヨーロッパは人類学上、元を正せば2つの人類猿から出来た民族で、その融合民族の合わせた3つの民族から原則構成されているし、それが、更に、その3つはヨーロッパを東西南北に分けた形で枝分かれの4−5つの民族の人類から出来ている事に成ります。
キリスト教はそう云う意味で、ヨーロッパの民族に布教するとすれば、民族的に統一性のある教義とする必要があり、遺伝学上の「思考原理」から、上記の定理の原則が出来上がると言えます。

この2つの理由は、その人類猿期の厳しい極寒の「自然環境」から来ていると言われています。
その2つに成った人類猿の原因は、この環境から生き延びる為に選んだ要素が「食種と住宅」であったとし、2つに変化したと言う最近の学説であります。

一つは、極寒の自然環境に対して、岩盤地域が多く草食に適する南地域に移動して、菜食と岩盤下の竪穴住居とそれを最も補える集団生活を選んだのです。
一方は、狩を中心として肉食の出来る北の地域を選択して移動して、肉食と毛皮に依るテント住居方式を取り狩を行う為に大きく一箇所に集団する形式は採らなかったのです。
この結果、後者は、むしろ逆に、積極的に極寒の自然環境を逆手に取った方法で生き延び、前者は、極寒に耐える消極的な手段を採った事により、生き延びたのは少数と成ったのであります。

それは概略は次の通りであります。
この時、環境に対する進化として、この2つに成った人類猿は、必然的に、その体型と骨格と生理機能を変化させました。
そして、この2つの人類猿に合ったその生活に於ける習慣と規則を創り上げました。
前者は、体型をより小さく丸くし、頭型は四角形とし、肩から後頭部に掛かる筋肉と顎に掛かる筋肉を異常に大きく発達させ食利用の事情に合わせました。
岩盤竪穴式から移動を少なくしてエネルギー消費を小さくし、暖房して身を守りました。この結果、生理機能の変化を少なくし、繊維素の衣服をまとい、現状の体型と生理機能を守った為に進化は遅れました。

後者は、体型をより大きく高くし、頭型は逆円錐とし、胸と肩に掛かる筋肉を大きくし狩に適した体とし、体全体を毛深くして身を守りました。そして、体の周囲に脂肪をつけ筋肉を守り、胎盤、腰盤を大きくし、皮膚の血管を中に入れて、眉毛を深くし、冷気を肺に直接入れないように鼻は長くし下向きにして、額を前に出して目を守って極寒から身を守りました。頭髪は雪日の光に適して茶髪とし、目は光から耐えられるようにブルーとして進化させたのです。

双方はほぼ逆の対策を採りましたが、極寒環境に対して進化を大きくした後者が大きく生き延びたのであります。
前者は、南地域に一部生き残り、一部が北に移動して後者の方式をとりました。この一部が、後者との血縁融合を図り、東に第3の民族を形成したのであります。
そして、遂には、この第3の民族と後者の民族との融合、前者と後者の境界での融合が起こり民族は形成されたのであります。

必然的に、その生活環境から思考の原理は異なる事に成りますが、しかし、その基盤となる自然環境は同じである事。極寒の範囲の活動も小さい事など人間関係の「しがらみ」は、共通する規則的条件が強かった事等から、思考する原理は、「自然と行動」の関わりから、又、精神面からの「しがらみ」が少ないことからも、進化として数理、合理、論理の共通の定理思考となったのであります。

しかし、これとは別に、アジアでは、このほぼ逆の自然環境から「自然と行動」も活発とされました。
(詳細は研究室の日本民族の形成過程の論文参照、また、 大化改新のレポートにも記述)
それ故に、仏教では、言うまでもなく、この「先祖」に対して真正面から「定義と教義」に取り組み取り入れているのです。
それどころではなく、この世の人間、そして、その人間が死して「4つのみ」から抜け出し、「仏」となり、遂には、「神」となるのであります。そして、この職神の神の元締めとして「万能の神」が存在し、この「仏」は自己の民族の「先祖」で有るとするそれを「教義」の大前提にしています。

仏教は、歴史的に、インドを始めとして、アジアを中心に東日本に布教して来ました。中国、韓国の儒教も根底とする教義の所は大きく変わってはいないのであります。
ただ、物事に付いて、仏教より「極端」というか「厳格」と言うか「硬直性」というか「明確」とした所があるだけであります。(江戸時代に一時活発になり、最後は禁令になりました。しかし、日本人の生活に深く残りました)


このキリスト教と仏教の差は、上記の様に、その民族の根源の差にあると見られます。極端に言えば、進化の過程の「猿の根源」の違いにあるとも言えるのです。
それはピネカントロプスとネアンデルタールの違いと成り、更には、コルボックスの移動経路の所に出来た民族と、極寒のヨーロッパ大陸の移動経路の民族の違いであろうと考えます。

そこで、先祖を教義に入れるアジアの民族の根拠は次の通りであります。
この件に付いては本サイトでも何度も記述してきましたが改めて概容を述べます。(研究室のレポート参照)

コルボックスの移動経路の所に出来た民族は、東アジア、南アジア、シベリヤ、アラスカ、北アメリカ、南アメリカ北部までへと移動しましたが、全てのこの民族は、元は全て、コルボックスの民族で一族で縁者兄弟であったのであります。
これは遺伝子的に証明されているのです。

日本の7つの民族の融合族の一部と南アメリカのインカ帝国の末裔との遺伝子は完全一致している事が国の機関で証明されています。(移動経路は同じところで分離した)
これはインカ帝国の末裔のみならず、その民族の人々と遺伝子が共通していることを意味するのであります。

そして、更に、この一つと7つのうちの3つと一部異なるがほぼ一致していることも判っていて、分離した南に進んだ一族とは元は一族が分かれた分離点のところでは縁者である事を証明しているのであります。

この様なことから、この7つの民族は結果として更に融合したが、その内5つの民族は、基は2つの経路から入った一族であった事が証明されています。
真に、これは大ロマンであります。
大昔、分かれた家族は長い年月の末に他民族となり、再び、一つのところで出会い、又、日本で民族を構成したという事に成ります。
日本人は7つの融合単一民族と成っていますが、突き詰めると、ほぼ一族分離点のところでは一つの民族であった事が言えるのです。

これは遺伝子の成す所以であり、人の成した所以ではないので有ります。

それ故に、「融合」と言う今だ世界どの民族も成し得ていない事を成し得たと言える民族なのです。
つまり、長い人類進化の歴史の中で、「先祖」が再び交じり合ったと言う不思議な事にも成ります。
この様な自然が一致したほぼ統一した遺伝子を持つ民族が成す思考は、環境から進化した遺伝子であり、自ずと必然的に同じとなるでしょう。

人類移動先で長い間にその元の「先祖」を祭り維持してきましたから、再会したとしても、同じと成れば、「先祖祭り」の遺伝子は共通したものとなるのは当然の事に成ります。
これが、「人−仏−神」とし、「先祖」をその教義の中核に据える教義としたのであろうし、仏教徒の民は遺伝子レベルからしても充分に納得しているものであろうと考えます。

況や、インディアンやインカやマヤ、アステカなどの文明もその原点に先祖を据えて崇め奉るという宗教行為をしています。
そして、天に届く高い塔を建て、天の先祖とのつながりのモニュメントを造り祭祀しているのは、同じ宗教行為であります。

特に、東アジアの全人類の「先祖」は、アフリカを出て、ヨーロッパ南岸を伝いアジア大陸を渡り、カムチャツカの東岸壁のところに辿り付いた家族で、彼らは北と南と西とに分かれたその時の家族と成ります。
この時点での「先祖」とすると、インカやマヤを含めた東アジアの民族も同じ「先祖」を崇めている事に成ります。
身を裂くような辛い家族の別れの中での事であったから、何れの民族も同じこの時の先祖に対する尊敬と崇めから「心の支え」とする祭りを続けて来た事に成ります。
その証拠に、人類上、最初に、この人類猿の北京原人の祖は死んだ先祖の墓石をつくりそれに花束を捧げた遺跡が遺されているのです。
ヨーロッパの民族にはこの花束を墓に手向けると言う行為の遺跡は人類となった時期の最近であります。
中でも、我が日本民族は、アジア民族の中でも「花」に対する意識が一際強くその花の多くは「仏花」として扱っています。
世界に紹介されている日本民族の教科書には、この事は書かれており、ふ大変「花」を好む民族で、その花に対する固有の文化を持っている”と紹介されているのです。全ての文化には必ず「花」の作法が添えられていると紹介されています。
つまり、「花」は「先祖」との「心の繋がり」の手段としているのです。
我々は無意識にこの作法としていますが、他民族にとっては格別な作法なのです。
それは、北京原人の遺跡から見られる様に、先祖への尊敬と尊厳の繋ぎとして、7つの民族が持つ統一した作法であったからであります。
大事な事は、人類猿が、「死者」に「墓石」を造り「花束」を手向けると言う行為の意味する所を考慮すれば、「先祖」と「仏」の教義の設定は、はるか宗教以前のものと成ります。

即ち、結論として、仏教の「先祖」「仏」は、人類猿からの元からの譲れないアジア人類の思考を超えた定理である事が言えるのです。

日本人と同じ遺伝子を持つインカ、マヤの文明の人たちの「象徴」が「先祖」であると言う事は、ヨーロッパの民族とコルボックスのアジア民族の思考原理の差の何物でもない事を物語る証拠と成ります。

この様に、仏教で言う「悟り」とは、「遠祖」からはじまり、その「先祖」の「生様の知識」を知る事により、そこに「驚き」と「敬い」と「感謝」と「崇め」の「心の念」を得る事にあります。
この「悟り」の範囲は、その「悟り」が「知識」と「理解」の域のものでも良いとしていて、その中から日々少しづつでも「真理と心理」を得られることが出来れば、それは「悟り」であるとしているのであります。つまり、「先祖」を知る事は「悟り」の第一歩と成るのです。

参考として。
キリスト教の創設一団(3人)が中国に入り、勉強して帰ったとする証拠が遺されていると文献で見た事があります。この中に、キリストが居たとの学説もあり、この時、「人−神」としていたキリストの教義を、仏教の「人−仏−神」とする教義を見て、同じにする事が上記の理由から出来ず、「魂」と成った「仏」に対して、そこに、「霊」というものを存在させて「仏」に見合うものとして「悪霊と聖霊」を造り、その「聖霊」の働きを強くして仏教の「悟り」と言うものを用いて「聖霊−悟り」として「人−霊−神」と修正したと言う学説も有るのです。
本来、上記に記述した彼らの民族構成上の所以から「霊」が存在すると言う思考はないのである。

参考として。
最近、アメリカでは、キリスト教の中で、仏教を信じる人、又は、興味を持つ人が急速に増加していると言います。
日本の食文化と相まって急速であると言います。
最近のニュースでは、仏教の先祖を真似てその価値を認めて、ルーツを調べるアメリカ企業が増えているとのことです。
余り、重要視されていなかった「先祖」を見直していると言うのです。


矢張り、これは、余りの世の中の付加価値の増加で、キリスト教が言う「数理、合理、論理」の式の通る世の中では無く成ったことから、人は心の癒しとして、先祖、仏の論理に目を向け始めた現われであると彼ら自身が認めているのであると考えます。
これは、別の面で、キリスト教がそのやり方で世界の国から嫌われている事への反省から、他の民族の譲れない教義を認識して居る証拠でもあり、架空の証明できない悪霊と聖霊の定義に対する疑問が生まれたのではないかと考えます。
そこで理解できる先祖と仏の定義に目を向け始めたと考えられられます。

ロケットで火星等の惑星の内容がわかる時代に、人間の脳医学の発達で2つの脳器官の存在が解る時代に、悪霊聖霊の論理は人を説得するに難しく成っているのではないでしょうか。
その点で仏は現実のものとして理解できるからではないかと思われます。

その意味でこの設問は意味があると思いますが、如何でしょうかう。

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