青木氏のルーツ & 雑学研究室

小中高校生の皆さんへ、難しい漢字の読み方 - 便利な裏技

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No.1157
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Re: ルーツを教えてください。
副管理人さん 2007/11/07 (水) 08:50
>こんにちは、返事が遅くなりまして失礼いたしました。この度は、ご丁寧に教えていただき感謝いたしております。先月の末に伊勢・鳥羽に旅行に行きました。その際、消失してしまった龍泉寺に行って調べてまいりました。龍泉寺のすぐ隣には、済度院という浄土宗のお寺があり、この寺の境内を通って龍泉寺に向かいます。その住職さんに龍泉寺の燃え残りを見せていただきましたが、わずかにお経の本が残るばかりで手がかりはまったくありませんでした。墓標は倒れ草ぼうぼうで見るも無残な状態でした。代々の住職の墓に混じって在家の墓もいくつか見られました。しかし、皆倒れてしまって確認はほとんど出来ませんでした。済度院の住職が、供養のため時々清掃するとのことで、その折に調べてくれるとのことです。念のため、浄土宗の済度院の過去帳を調べましたが。発見は出来ませんでした。そして鳥羽の図書館で龍泉寺の事を調べたところ、鳥羽の常安寺の末寺であることがわかりました。今度は、遠くて中々行けませんが常安寺を調べて見たいと思います。伊勢神宮参拝の時は、気持ちの良い秋晴れで、最高にすがすがしい気持ちになりました。これからも、何かと質問することも有ると思われますが、どうぞよろしくお願いいたします。

青木一実さん おはようございます。

伊勢の旅をされた様でよかったですね。

ルーツ確認はなかなか難しいものですよね。

何かご質問等有りましたら、ご遠慮なくお尋ねください。お待ち申し上げます。

お墓に関して、在家の方が移動される場合は、普通、台座を残し上の墓石を移動先に持ち運びます。
ですから墓が旧の位置で見付かることは難しいものと考えます。もし、荒れて残っていても、無縁仏の墓と言うのが多いと考えます。

現在のような御影石の墓石は明治頃からのもので、普通の在家の墓は豪族や大名以外は小さい台座の上に大きな川原の石を載せているのが明治前の墓式です。これには意味があります。
川原の石は三途の川を意味し、墓石の形に合うその石を用いるという一般の習慣でしたし、土葬でしたので御影石でのお骨の保存と言う形はないと考えます。
この川原の石の墓は風雨に弱いので無管理の形では長い年月は無理と考えます。

どの程度の墓石を用いていたかと言う見極めが必要で、且つ、何時の時代にするかの問題もあります。江戸中期前では習慣から発見が難しいのも現実です。

室町期ではそれなりの身分ですと、藤原氏一門青木氏の場合は、男墓と女墓に分かれている事もあります。特に本家筋では。

墓に関しては、当時の慣習をもご配慮されての調査とされる事をお伝えします。
墓が荒れていることの現実はこの結果から来るものと考えます。

寺が廃墟になるという事は、その墓での墓石は付近の関連寺に移動させますので、そこともご配慮されると良いと思います。
明治の時に、政府の方針で「廃仏毀釈」という事を行いましたので、この影響もあります。
提案しましたお寺に移動させていることも充分にあります。

以上のことが参考になればと思いお伝えしました。

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