青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.1169
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Re: ルーツを教えてください。
副管理人さん 2007/11/16 (金) 14:30
>管理人さんこんばんは。色々と教えていただき有り難うございます。今後の参考にさせていただきます。話は変わりますが、青木家の守り仏は、大日如来との事でしたが、もし浄土宗であれば阿弥陀如来が一般的だと思います。それに、大日如来の写真を拝見させていただきましたが、簡素な僧形であらせられますし、宝冠を身に着けていません。それに、仏を特定する手印ですが、大日如来を表す禅定印は法界定印か智拳印と思いますが、写真の如来様は、阿弥陀定印に見えるのですがどうでしょうか。法界定印と阿弥陀定印は似ているので、写真がはっきりくっきり見えませんと特定しにくく、提供写真は少し見えにくいのではっきりと断定できませんが、それとも、古い時代の仏教の仏像なので特別なのでしょうか。どうぞ教えてください。

青木氏のステイタスの「生仏像様」に関するご質問ですが、ご指摘は仏教の仏像としてのご指摘と思いますが、文中にも誤解のない様に内容に幾つかの特長を記述しています。

先ず、皇族賜姓青木氏の伊勢青木氏は、647年ごろの発祥です。
天智天皇(中大兄皇子、大海人皇子)の皇子皇女の総勢34人中皇子14人の中の第6位皇子が臣下して賜姓を受け、伊勢の国の守護王として赴任しました。この時、この皇子に対して氏として青木氏を与えたのが最初です。(以後 天智天皇と呼ぶ)
この伊勢青木氏に対して、ステイタスとしてこの仏像を与えたと記録されています。

この時、物部氏と蘇我氏との神道と仏教の戦いで、蘇我氏が勝ちますが、いきなり仏教が大きく布教したわけでは有りません。朝廷そのものの神事は「天神文化」そのままの中ですから、まだ神道の伝統の方が大きい位置を占めていました。

聖徳太子の「仏法興隆の詔」は594年ですから、始めて私伝として伝えた「司馬達等氏」から観ると50年後程度です。
この司馬達等氏の孫である鞍作部止利は丁度この時期(647年頃)の人物です。

元々、この鞍作部は、中国後漢から阿多倍王に率いられて帰化してきた200万人の技能集団の一つで、最初は馬の鞍を作る職人集団(部)でした。司馬達等はこの集団の首長でした。
この首長は中国で仏教に帰依して居た事から日本では合間に仏像を掘っていたとされます。(私伝布教した)
この孫の鞍作部止利がその彫り物を広めたもので、天智天皇に命じられて掘ったのも仏教の影響がまだ少ない初期の彫刻です。北魏方式としての彫刻の完成は鎌倉期前と成ります。

この鞍作部止利に天智天皇は「皇族賜姓族の証」として「ステイタス」として彫刻を作ることを命じたのですから、「仏教の仏像」としてより、「皇族者としての証」を強調したものです。
北魏方式とは言え、まだその特長が全面に出るそのような、僧形と僧顔となっています。

京都古美術商の鑑定士と菩提寺僧院もその評価をしています。私も正しいと思います。むしろ、この時代性と仏教性と皇族者と「鞍作部止利」から観ると、むしろその証となると考えます。

口伝は正しいと見ます。むしろ、大日如来像とする口伝による標記に問題があるのかも知れません。
「皇族者としての証」の大日像とするべきかも知れません。

しかし、これでは一般性が無く表現が難しいとして「口伝」と成っているのだと考えます。

何でも勘でも、定印など仏教の最盛期(560年後)の特長にあわしての評価には問題があると観ます。史実を検証するときには、特に難しいのはこの点です。
文化は急に変化するものでは有りませんからね。次第に変化して行くものですからね。
物事は暫時(30−50)送れて影響するものと思います。

あくまでも、仏教の仏像として彫刻したものでは決して有りません。皇族賜姓族として民を導く者の太陽の如く頂点の証としてのイメージした彫り物なのです。それでなくては意味が有りません。単純に仏像を与えた所で「証」にはなりませんし、ステイタスにはなりません。

天智天皇は天神文化の朝廷のその天皇としての立場から「証品」として命じ、子供に与えたと考えるのが無理の無い判断になることだと思います。まして、未だ、人、時、場所の三相から見ても、仏教的要素が少ない時期のものです。

まだ、この時期(647年頃)は詔から50年程度しか経っていませんし、まだ仏教の布教も長い歴史のある神道の地盤もあり進んでいません。朝廷の中での祭祀も神道が主導でした。

まして、伊勢は天智天皇が国の守護神(後に弟の天武天皇が正式に決定)として、この時期に伊勢に神宮を立てた時期でもあります。
そして、それを青木氏に守護させたのです。むしろ神道的要素のあるものとして評価するべきものなのです。
同じく、伊勢神宮の守護役として、伊勢青木氏もその代表的氏でもあります。

浄土宗は鎌倉時代のもので、この時代からやっと仏教としての活動が全国に広がる時代です。
また、その特長も1200頃から出てきたものです。大きく広がったのは江戸幕府が出した浄土宗の帰依督励の法からでした。

浄土宗の法然は1133−1212年ですから、560年後の話と成ります。

更に、仏教と一口で言いますが、仏教は2つの区切りを経ています。

鎌倉時代初期を境にして、594年から1200年までを「旧仏教」(顕密仏教)と呼ばれ、1200年以降1350年頃までを「鎌倉新仏教」と呼ばれその質は異なります。

ご指摘は、浄土宗の特長を560年前に遡って適用して検証すると言う事に成ります。
丁度、現在の常識を室町期のことに適用した事に成ります。

皇族賜姓族の伊勢青木氏の「証」の彫り物です。
仏教とは直接関係の無い彫り物としてのものです。

故に、お話の最後の所のお考えになると思います。

又、ご質問が有りましたら、お尋ねください。

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