青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.959
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Re: 葵木さん
副管理人さん 2007/07/23 (月) 21:11
青木研究員 [副管理人] 2005/07/01 (金) 19:39
とんでもありません。貴方の御姓の元ルーツは藤原氏です。歴史で藤原鎌足(大化の改新)を習ったと思いますが、その鎌足から8代目の人が朝廷に対して武功をたてました。(有名な平の将門の乱を鎮めた人です。)
この人秀郷は武蔵の国と下野の国の守護でした。武蔵7党とい関東全域を制圧していた超大豪族です。藤原氏は四つの派がありこのうち北家という最も朝廷に勢力を持っていた一族です。この秀郷の子孫になり、前のレポートでの通りです。多分1200年頃に誕生した氏だと思います。1800年頃の過去帳があるとしますと、このころは江戸11代の家斉の頃ですから、武蔵国か下野の国のいずれかから江戸に出てきたと推測します。出て来る前は特に江戸時代初期(1603)
から1800年の間には武士が町人になる政治的な政策はありません。
従って、武士であった筈ですが江戸に出て来た。そして、武士のままに商売をした。この当時はこのような人が多かったのです。
当時、伊勢や近江の豪商とか言われた人は殆どは武士でありながら商いをしたとする人なのです。何はともあれ、家紋が物語ります。1800年以前は武蔵国か下野国の郷士であったと思います。
当時の武士は大名に着いて国換えで移動しますから、貴方の御先祖が1800年頃に江戸に自由に移り住むことが出来たのですから、この二つの国のどちらかに住み着いた土着武士でしょう。この人を郷士(ごうし)といいます。武士でありながら農業(庄屋)や商いをした人たちです。上記の豪商もこの「郷士」です。坂本竜馬、近藤勇、など沢山の人が居ます。大名に仕えず自由に動ける武士です。この人たち郷士には良い家柄の人が多く生活も大名に仕えた武士より良い家が多かったので残っているのです。1800年に江戸に居たことと家紋と考えあわすと、明治初期まで「郷士」であったと思います。その事は、”米屋を営まれていた”という事でも証明出来ます
江戸時代に米を商う場合は許可が必要です。当時は米の石高値を中心としていた経済ですから、米を扱うだけの能力があるかどうかです。一般の市民や農民や町民や離反武士ではこの商いは出来ません
米を国から調達し運びうるためには、扱う力が必要です。「郷士」は地元に長い歴史と人脈関係を持っていますから出来る事なのです。この能力がある場合にでる許可です。
次に、姓ですが、葵紋の膝元江戸から葵を採ったか、長い間の事ですから、藤原秀郷流長沼氏系だが青木氏に近い氏のために、直接に青木とせず、木と葵とで葵木としたか、この点は判りません。しかし、家紋からは藤原流の武蔵下野の国の武士で江戸期には郷士であったと思います。1800年前のお寺かお墓が判れば確定できるのでは。   1000年頃の名家の氏は郷士の人が多いです。

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