No.1133
Re: 阿多倍王と安部氏との関係(代理投稿)
安部孝さん 2007/10/15 (月) 01:46
>早速のご回答ありがとうございます。
>安部の由来が軍事に関係していたのではないかと
>想像していましたが,武具の製作集団であったとのことで
>
>腑に落ちました。家紋,氏と氏の全国分布からルーツを
>探ってみたいと思います。
安部さんは大分の方ですよね。でしたら国道10号線の大分よりに近い
白木と言うところがあります。
ここかが一応、大分県の「安部」さんの祖先のいたところとされています。
ここに「鬼神社」と言われる神社があります。
実際は「安部神社」らしいのですが何かしら「鬼神社」になっています。
この小さな神社の賽銭箱の上の軒に神社の云われが書かれてあります。
神社の云われは「南北朝の後期に東方よりこの地に至る・・・・うんぬんかんぬん」
と書かれています。一度観に行かれたらどうでしょう。
で、私も大分出身の安部ですが昔から私どもの地域の安部さんには先祖祭りと言う因習祭
がありその際に先祖の名前が書かれた掛け軸がかけられそれを観ながら宴を楽しむと言う
趣向になっていますそこに書かれた第一の先祖は安倍貞任と宗任になっています。
しかし、上記の「鬼神社」=「安部神社」の説明では南北朝の後期にこの地に来たとなるので
我々の直径の先祖は前九年の役で源義家(八幡太郎)に殺されずに伊予の国に流された
「安倍宗任」のまたその500年後位の先祖と言う事になるのでしょうか?
しかし、南北朝時代、信濃の諏訪神社を中心に、神家一党といわれた集団がいてそこに安部氏
(安倍ではない)の先祖がいたと言う記述をどこかで見たことがあります南朝方だったそうですが。
その後その一族は全国に離散したとされています。こことの関係も何かありそうです。
いずれにしましても「東北、関東、信濃。駿河」の地域との関係は深そうな「安部」さん
ではあります。
そして最後にとっておきの情報ではありますが。その「安部神社」は鬼の面が神社の社屋に多く飾られています。その光景も若干「奇怪」なのですがその神社の背後にお回りください。そして背後の屋根の軒下あたりに飾られている「面」を観て下さいここにこの一族の鍵を解く一つがあります。
びっくりなさらないようにw
では。さようなら