青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.405
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Re: 我が家は何者
青木研究員 さん 2007/02/23 (金) 07:33
>とても詳細に説明して頂きありがとうございます。
>
>現在では、宗派も菩提寺も分かりません。
>父は結構好い加減で、私が子供の時に、一度墓参りをしただけで、
>小さい子供のため記憶に無い次第です。
>調べるにも谷中には寺の数が多過ぎます。
>
>関係無いかもしれませんが、祖母は美濃の出身です。
>旧姓は、野田です。
>何で明治初期の交通の発達していない時期に岐阜から東京へ嫁いで来たのしょうか。
>岐阜には、野田姓は多いのでしょうか。(野田聖子とか)
>また美濃にも青木氏が封じられたと言う事に関係するのでしょうか。
>
>宜しくお願いします。

おはよう御座います。

そうですか。菩提寺は判りませんか。多分本家筋の近江のどこかにあった筈です。
本家筋を割り出してゆくと出て来ると思います。

その寺には、青木氏の塊の墓群がある筈です。本家筋の寺と墓は浄土宗です。
今の墓は移動して「御魂遷し」と言って移動させたものですので宗派は判らないかも知れません。
誰でも本家筋はある筈ですから。東京に居られる場合は御家の場合はそこから入ると判ってきますよ。近江の青木氏の寺で入るとわかります。

家紋がお判りであると言う事は菩提寺もどこかで判るはずです。近江付近の抱き茗荷紋の寺紋のお寺が有るかもしれません。
又、抱き茗荷紋の集落があるでしょうからそこから探されては。

美濃の野田さんに付いては全く関係ないと思います。

当時江戸は世界一の都市でした。
各地から、次男三男のたちの家族が移動してきました。
本来は、「国に抜け」といって罪ですが、嫡子以外は大目に認められていました。次男三男の杭物を減らす目的で庄屋と国役所の許可を得て江戸に出てきたのです。

それでなくては関所は通れません。また武家であれば浪人者とか参勤交代で江戸に住み着きますので多くの人々があつまりました。

交通はその時代はその時代の能力で時間掛かっても出て来るものです。それが当り前ですから。
現在、我々も同じです。後の世には東京に出るのに大阪としますと今は2時間ですが、多分、30もかからないと思います。いって直ぐ変えると言うことになると思います。
例えば、ロケットエンジンの小型を列車につけて電気で始動して後は小型ロケットですれば30分でいけますよ。小型ロケットのハイブリットエンジンを研究しているとの事です。
相すれば後の人は”昔は3時間もかかつたのだ”といわれてしまいますよね。

江戸で何らかの縁があったと思いますよ。

野田氏のことに付いては専門で有りませんが、野田氏は千葉の氏だと思います。地名もありますので。その頃の江戸半ばからは日本はもう「国抜け」など関係なくなっていましたから。

農家の出であれば、嫡男は矢張り締め付けが合ったとの事ですが。それ以外の者はフリーでした。
美濃には、皇族賜姓青木氏と土岐氏系青木氏があります。
美濃の東外れには藤原秀郷流青木氏。西外れには皇族賜姓の初代の伊勢青木氏。
まんなかには、川中津7党の青木氏があります。全て青木村を形成して住み分けしています。
北側には、信濃側よりに藤原秀郷流青木氏が住んでいました。

以上ですが、また何か有りましたらお尋ねください。

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