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No.454
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Re: 大化改新8−2
副管理人さん 2007/04/26 (木) 22:04
8 「飛鳥文化」に影響を与えた朝鮮人と宝蔵品の例品
(3に別分野での追加)
「曇徴」 610年に渡来した高句麗の僧で、「五経」の師である。また絵の具や紙墨製法にも精通して「紙墨の法」を表し指導した。
「観ろく」 602年に来日した百済の僧で、暦法、天文地理、の師である。多くの弟子を育てた。

7の「科学文化」を屈指してい宝贓品群
法隆寺金堂釈迦三尊像
法隆寺百済観音像
法隆寺夢殿救世観音像
法隆寺金堂薬師如来像光背銘
法隆寺金堂四天王像
広隆寺半伽思惟像
法隆寺玉虫厨子
玉虫厨子扉絵
捨身飼虎図
施身聞げ図
天寿国繍帳
忍冬唐草文様
法隆寺金堂灌頂幡
竜首水瓶
獅子狩文様錦

以上が「飛鳥文化」の代表宝蔵品として上げられる。

ここまでが「飛鳥文化」の史実に基づいての検証である。

結論
既に、検証の「朝鮮文化」の影響は「飛鳥文化」の初期にはあったことは否めない。そして、特にその功績の主な元は「人的貢献」による影響と言えるものである。

初代のヤマト政権期の「応神大王」の百済からの登場で、確かに進んだ文化を持ち込んでヤマトの民に影響を与えた。
しかし、この文化も中国の文化が朝鮮半島の陸を経ての伝達であり、その中国の「隋唐文化」も阿多倍らが率いる大技能集団の所以の「後漢文化」を越えるものでは無かったのである。

そして、その「後漢文化」の「政治文化」、「経済文化」、「軍事文化」、「科学文化」(統計文化、技能文化、生活文化)、「宗教文化」、「伝承文化」も日本という中で溶け込み「融合文化」を構成して、国民全階層の「三つ巴文化」を育み、独自の「飛鳥文化」を発展させ「新化と進化」を繰り返し、「50年文化」とも言い得る短い期間に中国の文化のレベルに到達しているのである。
否、それだけではない独自に発展させた文化をも育成したのである。

大化改新1−7のレポートでも記述したように律令国家体制の確立を短期に到達した事を書いたが、この進歩と平行して「飛鳥文化」もバランスよく進んだと言えるのである。
このことは国体を維持し高めるに当って不可避の条件でもあったが成し遂げられている。

現代ある日本文化はこの期間での発展が大きな原点と成っていると考える。
もとより、民の文化の発祥点ともなる「第一次産業」が、後漢の渡来人の成させる技でもある事を踏まえると、これはもう日本の文化の多くは彼等の功績と評価しても誤りではないのであろう。

そうすると、全レポートでの「律令国家体制」彼等の功績も配慮すると、「政治と文化」の日本の礎を築いたのは殆ど彼等であると言えるのではないか。この事が余り「教育の場」では評価されていないのは残念である。

この検証の論外にはなるが、次の検証の「白鳳文化」(熟成文化)と、日本最大の花開いた「独自文化」の「平安文化」へと繋がって行くのである。そして、この時も彼等の末裔の「京平家」が平家文化とも言える程に大きく関わっている事を忘れては成らない。

何はともあれ、しかしながらも、いまや彼等も「日本単一融合民族」の25%を占める国民であり、その優秀さに誇りと感謝を持つものである。

この検証は未だ「飛鳥文化」の範囲であり、次に検証する大化期の50年の文化(白鳳文化)は更に飛躍を遂げているのである。


大化期の「白鳳文化」の「50年文化」は次に続く。

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