青木ルーツ掲示板
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  [No.444] Re: 青木ではないのですが・・・(資延氏)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/24(Sat) 06:28:50

Re: 青木ではないのですが・・・
副管理人さん 2007/12/13 (木) 16:46

ご返事痛みいります。

ご参考までに、お家の宗派と菩提寺とを確認される事をお勧めします。
(特に本家筋が正しく出ます)
次に仏壇がお有りのはずですので、何派仏壇かもお調べになると進むと考えます。
次ぎに明治維新以降の戸籍簿では出ませんので、お寺の「過去帳」に記録されていますのでお調べください。(江戸以前はお寺が戸籍を管理していました)

藤原氏一門の者は寺に僧として入山する事は慣例で、特に妻の妥女クラスの子供の場合は一族の菩提を祭祀する役目を担う事が多かったのです。
藤原氏のような高位の家柄では4階級に妻が別れていました。嫡子と成る者が多くいる場合、経費が掛かるので3番4番目の妻の子は僧になるのが慣例でした。青木氏や天皇家などでも僧と成りました。何かある場合は還俗します。
僧になって各地の関連の寺に赴任移動しますので子孫が各地にできる事に成ります。
多分元は同じと考えます。

参考として、「資延」という名の藤原氏の子孫がいます。
近衛尚通-久我春通-通監-通世-秀通-英通-通条-白川雅富-資顕-資延
氏としては、藤原氏-近衛氏-久我氏-白川氏-資延氏となったと観られます。
白川氏一族には資延の代には嫡子が多くいます。そして、傍系です。資延の兄弟の雅言がいますが、この者も子孫は切れています。上記の推測は当っています。

藤原摂関家の近衛氏の末裔で久我氏となり、後に白川氏となり、白川資延がいます。
この資延で末裔は切れています。
この事は、仏門に入り子孫を遺さずの形をとった(系譜抹消)。ところが後に還俗したので藤原氏の白川氏を名乗れず、せめて俗名の資延を姓にして、下族(婚姻)して子孫を遺す結果となった氏と見られます。そして、阿波の土豪の酒井氏と血縁するが、男系不継で養子先の家紋となったと観られます。(青木氏ではないようです)

以上ですが、これを確定するには、上記の宗教関係の事の情報を先ずお調べになる事だと思います。

そこから確定は更に進むと見られます。

では、又、お便りください。



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