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  [No.737] 姓と家紋
     投稿者:   投稿日:2010/08/21(Sat) 21:00:05

初めまして
よろしくお願いいたします

私の家の家紋は、深溝家の丸に並び扇です。姓は岡崎と申します。
詳しくはこれから調べるところでありますが、先祖は愛知県から来たと聞いております。

家紋で検索しまして、こちらにたどり着かせて頂きました
ありがとうございます。

岡崎の姓で調べますと、藤原北家勧修寺流(分家岡崎家)と出てきます

何かしら、この2つには接点があるのでしょうか?

お手数おかけして申し訳なく思うのですが、自分では全く解らず、質問させて頂きました。

詳しく調べないで質問等と、失礼かとも思いましたが、どうぞ、よろしくお願いいたします。


  [No.738] Re:姓と家紋
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/08/22(Sun) 11:00:15

> 初めまして
> よろしくお願いいたします
>
> 私の家の家紋は、深溝家の丸に並び扇です。姓は岡崎と申します。
> 詳しくはこれから調べるところでありますが、先祖は愛知県から来たと聞いております。
>
> 家紋で検索しまして、こちらにたどり着かせて頂きました
> ありがとうございます。
>
> 岡崎の姓で調べますと、藤原北家勧修寺流(分家岡崎家)と出てきます
>
> 何かしら、この2つには接点があるのでしょうか?
>
> お手数おかけして申し訳なく思うのですが、自分では全く解らず、質問させて頂きました。
>
> 詳しく調べないで質問等と、失礼かとも思いましたが、どうぞ、よろしくお願いいたします。
初めまして
よろしくお願いいたします

岡崎さん 今日は。始めまして

青木サイトにようこそお越し頂きました。
これからもお役に立てる事が有りましたらお尋ねください。

本サイトには沢山の資料がありますが、岡崎氏に関わる内容のレポートは用意されていません。
さて、岡崎氏に関する事は残念ですが全く判りません。

ただ、折角お便り頂きましたので、判る範囲での参考となる事をお答えしたい思います。

先ず、家紋から、「丸に並び扇」から。
お便りの三河の松平深溝氏の家紋は「扇紋」もその一つですが、この氏は数種の家紋を持っていましてどれが主紋であるのか大変わかりにくい氏です。
松平氏には多くの系列の末裔を広げています。この深溝氏の家紋は「開き扇」ですが、扇だけでも家紋でその骨の数が7本、5本、3本と区別しています。
そもそもこの扇の家紋は佐竹氏が最初に使用した家紋です。日の丸付きで。
依って、閉じ扇紋の「丸に並び扇紋」は松平深溝氏の「開き扇」とは異なります。
深溝氏は幾つかある家紋の中で本来この家紋は使用していません。

この家紋の文様を分類しますと、扇を開いた紋、閉じた紋、開扇飾り紋の3つに分類されます。
全国89の文様に成ります。

次に、藤原北家筋の勧修寺系ですが、本来、この氏は藤紋で「下がり藤」が綜紋です。
しかし、北家筋の公家中でも「下がる」を忌み嫌い「上り藤紋」に変紋した流れもあります。
藤原氏は北家、南家、式家、京家とありましたが、勢力争いの結果、北家筋が生残りました。
中でも、藤原秀郷一門の「下がり藤紋」が最も栄えました。
勧修寺派は秀郷一門とは違う北家公家衆ですが、ここから岡崎氏が出たかは判りません。
菩提寺と過去帳を調べればこの勧修寺系の末裔かは判ります。
この高藤氏系勧修寺派には氏寺の一族専用の菩提寺があります。また藤原氏の公家ですので宗派でも判ります。天台宗が主門です。お家は何宗ですか。

この一族であるかは少なくともお家のご本家筋の宗派とこの氏寺にお墓と過去帳がある事に成ります。
過去帳には戒名も書かれていますので、その戒名でも家柄が判ります。
そこに支流とされるなら岡崎氏の墓などがある筈です。この岡崎氏と江戸の頃に藤原北家筋の氏と血縁して岡崎氏を名乗った事も考えられます。
岡崎氏は私が知る範囲では上記の様な家柄の岡崎氏だけのルーツの氏だけではない事がわかります。
色々な身分家柄の岡崎氏を名乗ったルーツがあります。

兎も角も菩提寺ではなくても檀家寺の過去帳の有無と、あるとすれば江戸時代のご先祖の戒名をお調べになることかと思います。その時の戒名でもお家の家柄が判ります。
なければ下記の明治期の氏となります。
江戸以前は苗字を持たない庶民にはルーツを時経的に記録をして遺すと云う習慣そのものがありませんでした。墓所も同じで”路傍の石と成る”と云う慣習で河原の石を積み上げただけの仕来りで庶民は正式な墓所をも持ちません。
庄屋、名主、豪農、郷氏、郷士、豪商は殆どは元は武士でしたので例外です。
この場合のこともあり得ますが本家筋は殆ど「伝統」を保持しているものです。

岡崎は三河国ですので、岡崎氏を名乗るのは不思議ではありませんが、「並び扇紋」の「丸付き紋」ですので分家と成ります。
ただ、当時、直接、地名を氏にする事は相当な三河の松平氏の中でも力のある豪族であった事に成ります。そうすると徳川氏の一門としてそれなりの伝統を今でも保持しているものと思います。
先ず、考えられる一般的な事としてルーツが判らないと云う事はないのではとも思います。
現在でも氏寺の菩提寺、維新戸籍簿、過去帳などを調べればすぐに判る筈ですし、江戸時代は戦乱の世でも有りませんので直ぐに判る事かとも思えます。
もし、藤原北家筋、松平深溝氏、岡崎氏ともなれば、この3つのことは判ると考えられます。
お尋ねのこの3つには関係が有りません。

ただ、明治3年の苗字令と8年の督促令で庶民の苗字の持たない庶民の国民の九割はこの時、一斉に維新政府の指導もあり、捗らない苗字令に対して地元の豪族の「氏名」と「家紋」を使用させたと云う経緯があります。一夜にして村、郡が同じ姓に成ったと云う事も各地で起こりました。
この様な地域はその土地に豪族が存在していたところに起こっています。三河もその最も土地柄です

これを解決するには明治前の過去帳の有無、維新政府の内容(士分など明記)で簡単に直ぐに判明します。何れ3氏にしても菩提寺の確認は簡単に出来ると思います。特に愛知であれば尚更です。

先ずお家のご本家筋がお判りになる事が先ずは鍵とも思えます。 

この「丸に並び扇紋」は有名な家紋で全国8000の家紋の家紋群の内の豪族であった主要「家紋200選」と云うものがありますが、その中の一つですし名氏と成ります。
ですから家紋と云う点だけから観ると、何かが引き出せることも考えられますね。

先ずは上記の3つの事はお調べに成ってください。

何か判りましたらご遠慮なくこのお家の専用の投稿欄としますのでReでお尋ねください。


  [No.739] 姓と家紋
     投稿者:   投稿日:2010/08/22(Sun) 16:08:08

副管理人さん、
早急なご返信ありがとうございます。

凄く丁寧に解りやすく、アドバイス頂き、感激です♪

これから頑張って調べてみます。

また、
お世話になるかもしれません(*^-^*)
よろしくお願いいたします♪


  [No.804] 姓と家紋
     投稿者:   投稿日:2011/11/13(Sun) 20:23:53

お久しぶりです
あれから調べる気力が失せて、今になってしまいました。
除籍謄本を調べましたら、江戸末期までしか残ってなくて
結局の詳しい事は解りませんでした。
私からさかのぼる事、四代前のご先祖様が何故かしら家紋も、お寺も、奥さん方の物を使用してしまったという事実です
五代前のご先祖様は、昔からの家紋とお寺だったようですが
それが今は解らず…

また気長に調べてみます。

とりあえず、報告です♪


  [No.805] Re:姓と家紋
     投稿者:福管理人   投稿日:2011/11/14(Mon) 09:33:05

> お久しぶりです
> あれから調べる気力が失せて、今になってしまいました。
> 除籍謄本を調べましたら、江戸末期までしか残ってなくて
> 結局の詳しい事は解りませんでした。
> 私からさかのぼる事、四代前のご先祖様が何故かしら家紋も、お寺も、奥さん方の物を使用してしまったという事実です
> 五代前のご先祖様は、昔からの家紋とお寺だったようですが
> それが今は解らず…
>
> また気長に調べてみます。
>
> とりあえず、報告です♪

お久しぶりです。お元気ですか。

青木氏のサイトにお越しいただき感謝します。
調べられましたか。

さて、4代前の事ですが、家紋掟により、次ぎの様な時に起こります。
5代前の方が「婿養子」であったが、男系嫡子に恵まれず一時養子先の家紋にしていたが再び4代目にも婿養子を取ったが嫡子に恵まれて妻方の元の家紋に戻した。
当然に、嫡子が出来ましたので元の寺を檀家寺として戻したことに成ります。
普通の場合は養子縁組で嫡子がない場合は一時的に家紋のみ変紋と成り檀家寺は変わりませんが、檀家寺が変わるには2代続きの養子縁組があった時か、「跡目養子」を入れてそれに嫁を取った時に起こり、この時にも嫡子に恵まれなかった時に起こります。 
恐らくは、お話ではこの時にある事情(下記)から考えて仕来りに従い嫁側の家紋と寺を選択したことに成り現在に至ると成りますね。
つまり4代前から6代前までに養子縁組と跡目養子縁組が連続して起こった事を意味します。
4代前から6代前は江戸末期から明治維新ですので、この時に実は2つの宗教改革の令が発せられてたのです。
江戸末期にはキリシタン禁令により、全国民は寺の檀家である事を証明してもらいキリシタンでは無い事を証明する義務を負いました。
国を移動する時とか旅する時にはこの証明書と奉行所の国を離れる許可書の発行が必要に成ったのです。この時に地理的な問題とか、上記した跡目の問題があると、檀家寺を変える必要に迫られる現象が起こりました。これを「寺請制度の令」と云います。

明治維新に「廃仏毀釈」と云って寺を潰し神社に統一する運動が起こったのです。
国を神社の神道に統一すべきだとする全国的な運動です。殆ど全国では小さい寺は壊されてしまいました。その理由は仏教やキリスト教は欧州、中国、インドの外国宗教だとする排斥運動です。

更に、「寺社領上知令」が発せられたのです。つまり寺や神社の持っている広大な領地を国に没収する法令です。これにより寺社が運営が困難になり廃寺や廃社が全国各地で起こったのです。

この為に、丁度、その時に上の様な後継ぎ等の問題がお家に出たと考えられて、家紋と檀家寺の変更を余儀なくされたのです。何も無ければそのままでも何とか成ったのですが。

以上の事が原因と見られます。
この様に一寸したことがお家のご先祖の生き様が蘇って来るのです。
本当に仰られる通り気長に一つ一つ進める事が必要ですね。

又何か他に判りましたらお便りください。ご協力いたします。


  [No.809] 姓と家紋
     投稿者:   投稿日:2011/11/19(Sat) 17:26:38

詳しいお話を、ありがとうございます。
そんな事があったのですね。

愛知から先祖は来たそうですが、
我が家は江戸末期には、四国におりました。
解らない事ばかりですが、気長に頑張ってみます。
ありがとうございます♪