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  [No.757] 静岡の青木さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/10/14(Thu) 09:04:36

代理投稿(福管理人)


他の方の専用投稿欄にReで投稿されていましたのでこちらに移動しました。

投稿内容
> 実家が静岡県で家紋が下がり藤なのですが、ルーツは皆様と同じなのでしょうか?

静岡の青木さん 今日は。始めまして。
全国の青木さんが集うサイトです。これからもよろしくお願いします。
たくさんの青木氏に関する用意がされていますので、ゆっくりと楽しんでお読みください。

さて、お尋ねですが、情報が家紋と土地柄でしか有りませんので何ともお答えできません。

何時の時代ごろから静岡にお住まいなのかなどが判らないと判断が付きません。

ところが実は静岡には確かに藤原秀郷流青木氏が多く定住している土地柄です。
しかし、確かに下がり藤紋の家紋もこの藤原秀郷一門の綜紋ですが、問題があります。
この綜紋は藤原秀郷流青木氏を含む藤原秀郷一門一族361氏の代表紋です。
この綜紋の家紋を引き継げるのはこの内の宗家の7氏だけです。
この7氏の中には藤原秀郷流青木氏116氏が含まれますが、この116氏の内の総宗本家だけが引く継ぐ事が出来る家紋なのです。
そして、その下がり藤紋は下がり藤紋だけを家紋とするのでなくて、それに副紋をつける掟に成っています。ただ一家この下がり藤紋を使える家があります。
藤原秀郷の武蔵入間に現存して居る361氏の総宗本家一家だけです。

つまり、この一家除いて下がり藤紋そのものを使う家紋は無い事を意味します。
詳しい情報がないので確定として云えませんが、この家紋を単独で使用していることから、明治3年の苗字令と8年の督促令に基づく青木氏ではないかと思います。

国民の九割の庶民が明治になり氏家制度の社会から契約社会となった事から苗字を持つ事が義務と成りました。この時、近隣の土豪の氏名と家紋を真似て届け出ると言う現象が青木氏の土地並びに各地の有名な氏の土地で起こりました。
むしろ、苗字化が一向に進まないことから維新政府は焦ってその様に指導しました。
その為に、村、郡全体が突然に一夜にして青木氏に成ったと云う現象が各地で起こりました。

その結果、この宗家だけが引き継ぐ家紋を副紋も使わずに家紋とした青木氏が生まれました。
361氏のなかで350程度の家紋のある藤原秀郷一門の綜紋を引き継ぐ宗家の家紋があちこちに増えてしまったのです。この下がり藤紋だけを引き継いでいる総宗本家は入間に現存しています。

それはそれなりに100年程度の伝統の歴史を有する事は意味のあることですが、藤原秀郷流青木氏としては学術的にどうかと尋ねられれば”違います”とお答えするしか有りません。
又、100年程度の歴史を有する明治期の青木さんとなれば、その可能性は高いということになると思います。要は宗派と過去帳の有無と維新戸籍簿如何にて確定するでしょう。

しかし、静岡には藤原秀郷流青木氏と、この明治期の青木さんが多いのですから、むしろ現実にはこの明治期の青木さんの方が多いのです。
その判別は家紋や宗派なども然ることながら、前者の青木氏は江戸時代以前から「青木村」を形成しています。
その青木村に近隣で関係していた庶民、農民がこの苗字を使用したので広域の村と成ると判別がつきません。しかし、江戸期前に氏家制度の中で青木氏であったかどうかで決まります。
それは青木氏の「氏寺の菩提寺」を持っているか、其処の寺に「過去帳」なるものがあるかで判別できます。江戸期前にご先祖の名が確認出来るか、明治維新の戸籍簿でも判別できます。

一度、菩提寺と過去帳の有無と宗派をも確認ください。有れば藤原秀郷流青木氏の青木さんと成ります。
無ければ、明治期の青木さんと成ります。
宗派も特定の宗派に限定され、その宗派の菩提寺となるわけです。
有ったとしても家紋に問題がありますので、この副紋なしの綜紋の家紋が何故使用したかの調査が必要です。

では、ご質問が有りましたらご遠慮なくお尋ねください。


  [No.758] Re:静岡の青木さん
     投稿者:静岡の青木です   投稿日:2010/10/14(Thu) 21:44:22

福管理人様、詳しい内容を頂き誠にありがとうございます。 

ルーツの話を祖母に伺った所、元は浄土宗でしたが曽祖父の代で(本家に破門?)清水市付近に移り住み、時宗に改宗したとの事です。詳しくは教えてもらえなかったのですが、清水市に移り住む以前の所在は分からないとの事です。菩提寺に過去帳は無いとの事です。

下がり藤に丸が有るか無いかでこれ程の違いがあるとは思いませんでした。大変失礼致しました。


  [No.759] Re:静岡の青木さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/10/15(Fri) 09:05:12


静岡の青木さん 今日は。
お便りありがとう御座います。

そうですか。元は浄土宗でしたか。つまり、ご本家が浄土宗と言う事ですね。
ご本家との間に何かあった事のようですが、清水市に移り住んだお家が藤原秀郷流青木一族であった事として家紋を薄ら覚えで「下がり藤紋」の綜紋そのものを家紋としたか、又は破門の扱いを受けた事からご本家の家紋を使えない事から止む無く綜紋を使ったと云う事に成ったかの何れかの事情が起こったかですね。
更に、過去帳がご本家の仕打ちで無く成ると言う事が起こったかも知れませんね。
清水市の前は判らないと云う事ですが、青木氏がもっとも多くすんでいる地域の武蔵の領国の埼玉か神奈川横浜付近の可能性が江戸期の歴史的な社会習慣から高いですね。
恐らくは、神奈川横浜地域であろう事が考えられます。
江戸末期から明治にかけて、神奈川横浜から隣の静岡付近にこの青木さんは多く移動しました。

実は、この事は「浄土宗」と云う宗派には大きな特徴があります。
浄土宗は古代密教です。
つまり、この宗派は特定の青木氏や藤原氏等の高位の限られた氏に依って「宗派の運営管理」がされていて、その代わり他の者の入信を拒みました。
当然に、住職は自前の氏の者から出す、寺の建立や運営費は自ら一族一門が出費、墓も一族一門だけを祭祀、等の密教の決まりがあります。
ですから、寺の運営にに出す個々の家の費用は大変な額になります。当然に本家分家支流分派分流に依ってその出費額は異なりますが、浄土宗である事自体大変な事なのです。

その為に、江戸に入って氏家制度の一門の力が弱まり宗派の維持が困難となり廃寺になる寺が多く成り江戸幕府の財政的な負担が莫大と成りました。
そこで、家康はまずこの建て直し策を打ち出しました。
限定した高位氏だけの密教方式を緩め、中級武士以上の者がだれでも入信できるものとしました。
しかし、矢張り寺に布施する維持費は高く全国的に普及入信する事も寺も特定地域から全国的に拡がると云う風には成りませんでした。
この状況は明治まで続きました。維新政府も力を入れて密教方式を止めて誰でもが入信出来る宗派としましたので大正時代までには全国的に普及しました。
現在でも、矢張り、浄土宗は他の宗派に比べて維持費や布施が高いのです。

ですから、浄土宗に入っていること自体が大きな要素に成ります。明治になって社会体制が変わりましたので氏家制度がなくなり浄土宗に入っていること自体が本家筋でなくては無理な状況でした。
現在でもかなり難しいですよ。
お家のご本家との関係が破門等により疎遠になれば当然に浄土宗には入っている事が困難になりますね。

今回のお家の情報に依って、「破門」や「ご本家が浄土宗」の事で、これでよく判りました。

この様な場合は、普通は未勘紋の「丸付き紋」を使用するのが慣例です。
未勘氏紋は、恐らくは一族一門か縁者かであろうが、先祖の確認が取れない場合とか、お家の様な場合とかは丸付き紋を使用する掟です。

お家の様な事が昔の氏家制度の中では茶飯事でしたので、普通は丸付き紋を使わない氏の家紋なのですが、この場合には「未勘氏」として「丸付き紋」を使用するのです。丸付き紋が多いのは明治期の青木氏を含むことでも多く成っているのです。

お家のご本家の家紋を使えないとしたら、向後の事として、この丸付き紋の「丸に下がり藤紋」とする事が妥当であると考えます。

この様な一寸した情報で当時の慣習や史実から検証する事が出来るのです。

お答えする事は青木本サイトの目的ですので、これからもお気遣いなくまた是非お尋ねください。

これからも何か面白い事やご質問やご不明な点が有りましたらご遠慮なくお尋ねください。
お待ちしております。


  [No.760] 静岡の青木です
     投稿者:静岡の青木さん   投稿日:2010/10/15(Fri) 07:12:15

大事な事を書き忘れていました。家紋は丸に下がり藤でした。大変失礼致しました。


  [No.761] Re:静岡の青木さん
     投稿者:静岡の青木さん   投稿日:2010/10/14(Thu) 20:03:26

新たに返信頂きありがとうございます。 
他の方の専用投稿欄に投稿してしまい、失礼致しました。

父に詳しい話を聞いた所、どうやら家紋は丸に下がり藤で、静岡の清水出身との事です。菩提寺の宗派は時宗でした。昔から木工職人だったと伺っているのですが、やはり明治以降の青木なのでしょうか?


  [No.762] Re:静岡の青木さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/10/15(Fri) 19:21:23

静岡の青木さん 今日は。

早速ですが、2回目のご返信に書きました様に、ルーツはご本家から辿る事が必要ですが、ご本家が浄土宗とあれば、浄土宗の経緯から、そのご本家が明治前からお家で浄土宗であれば、藤原秀郷流青木氏であったと思われます。
しかし、江戸期では木工職人であっても、藤原秀郷流青木氏と云うことがあります。この藤原秀郷流青木氏は江戸期には「2足の草鞋策」を採用して一門の生計を立てると云う事していて、後にその一族の一部がこれを本職にしたと云う事が特に青木氏に起こっているのです。
農民であれば庄屋、名主なども勤めていたのです。青木氏の特徴です。

誰でもが自由に入信出来ない古代密教の浄土宗の持つ特徴から考えられるのです。
木工職人が江戸期からであれば、この経緯を辿っていると観られます。

「丸に下がり藤紋」から観れば前回のお答えから未勘氏と成りますが、ご本家の浄土宗が何時からですか。江戸期からであれば家紋より宗派の要素を優先して上記の経緯の可能性が高いと考えます。

ご本家も丸に下がり藤紋ですか。もしそうであれば明治以降の青木氏かの判定が難しくなりますね。
他に何か情報がありませんか。一寸した事でも判ります。

藤原秀郷流青木氏で上記した木工職での家紋もあるのです。
この一門かも知れませんので。

過去帳は分家としてはないと云うことでしょうか。ご本家の過去帳がありますか。
明治期から100年程度ですのでご本家としては直接の本家であると思いますが、更にその上のご本家がありますか。ご本家が江戸期からだと藤原一門です。

浄土宗が大きい検証の要素となっています。

何か情報が見つかり、何か判りましたら、お便りお待ちしています。


  [No.763] 静岡の青木です。
     投稿者:静岡の青木です   投稿日:2010/10/15(Fri) 22:07:00

福管理人様、詳しいご説明ありがとうございます。

どうやら本家も丸に下がり藤紋との事です。
本家については、これ以上知らないのか話してもらえません。(破門されているからか、話したくない感じです)
ただ、母から横浜に親戚(本家?)がいると教えてもらえました。
内緒で会いに行くつもりですので、何か分かりましたらまたご連絡致します。

何度もご返信して頂きありがとうございます。