青木ルーツ掲示板
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  [No.778] Re:青木姓ではないですが。。。
     投稿者:福管理人   投稿日:2011/05/16(Mon) 17:58:14

志賀さん 今日は。お久しぶりですね。

如何お過ごしですか。
お便り頂きましてありがとう御座います。

お便りを実はお待ちしていました。
最終のお便りの時に次ぎのお答えがあった時にお答えをしようと準備していたものが有りました。
恐らくは、志賀さんの調査が伊達藩にたどり着くのではと考えていました。
前回のお答えは藤原秀郷流文行系進藤氏であろうと致しました。
進藤氏にはこの氏は秀郷一門の中で「第2の宗家」の青木氏の指揮の下にその調整役を演じていた氏ですので、各同族との血縁族を作り、また土地の豪族との血縁も行って関東一円の藤原一門のバランスを保っていたのです。
その為に進藤氏の宗家は各氏に血縁の繋がりを持っていたのですが、その意味で進藤氏系列も多岐に及んでいるのです。
その系譜の中に、今回お知らせ頂いた進藤氏宗家の記録があり、伊達家から嫁取りの事も記録があるのです。書き方は違いますがほぼ進藤氏からの伊達家との繋がりが書かれています。

そこでお答えは、100%藤原秀郷流文行系進藤氏のその宗家の末裔と成ります。
準備していた通りのお便りが届きました。
進藤氏の系譜
秀郷−千常−脩行−行景−脩種−脩俊−好治−治卿−秀世−脩久−実理−・広之−・景広−脩忠−常嗣−実信−晴季−・晴秀−秀輔−為興−晴泰−季章−重章−・泰脩

12代目の広之がここで伊達家との繋がりを持ちます。伊達成宗の一族の重臣原田次郎兵衛種則の娘娶る。
13代目のその子の景広は伊達家の寵臣と成る。側役的な表現を添書に観られる。
19代目の晴秀は志賀氏を名乗る。志賀縫殿を名乗る。伊達家臣(志賀)原田左馬助娘婿と成り志賀氏を継いで発祥させる。
その子供は志賀右衛門平隆でお便りの人物です。原田氏と志賀氏が縁戚関係にある。
25代目泰脩は江府伊達黄門侍郎政宗の「千石家臣」と成る。その子孫代々下腸食録とある。

13代目から伊達家に関り19代目で初代の進藤氏から志賀氏を名乗り、以後25代目には政宗に寵愛されるお便りのような志賀氏の功績が多く書かれています。
進藤氏は志賀氏を跡目を入れているので発祥させた末裔として12、13、19、20、25代に付いて添書に関係を詳しく記述されています。

進藤氏は現存しますので個人情報として詳細は記載できませんが、間違いなく進藤氏です。
進藤氏側がこれだけ事を書残すのは異例に近い事です。

また色々お調べになった時にはお便り下さい。お待ちしています。



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