青木ルーツ掲示板
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  [No.1141] Re:新潟の青木氏
     投稿者:副管理人   投稿日:2018/07/12(Thu) 14:57:13

今日は はじめまして

サイトを長くお読みいただいているとの事 ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
お読みに成っていただいていると云う事ですが、ここには確かに「二流の青木氏」が定住しています。
情報の少なく成った現在では、ルーツをお調べに成るのは難しいですよね。

さて、結論から先にお答えいたします。

先ず、一つの流れが、赴任地としていた「藤原秀郷流青木氏」です。
もう一つは、武田氏が滅び、武田氏に味方した「諏訪族系青木氏」が、「秀郷流青木氏」を頼ってここに逃げ込みました。
先ず一度、神奈川の秀郷流青木氏を頼って逃げ込み、その後に、再び、越後の秀郷流青木氏の保護下に入りました。
彼らは、山形国境に配置されました。

さて、そこで平安期から彼等には伝統ある家柄ですので、「独自の家紋」を持っていますので、判別がつきます。
お家は、「丸に横木瓜紋」とのことですので、これを前提にすると、「新潟の秀郷流青木氏」である事は間違いありません。
これらの事は詳しく研究室に論じていますので参照してください。

新潟には、四か所に「青木村」があり住み分けていました。
二つは、佐渡郡にあり、残りの二つは、「古志郡青木村(諏訪族青木氏)」と「中頚城郡金谷大字青木村(秀郷流青木氏)」です。

当時の慣習から、「古志郡の青木村」の奈良期からの名門の「諏訪族青木氏」との血縁も進んでいる筈です。
「国境勢力」を固める為に「北蒲原の豊栄町」と「古志郡の青木村」とは北よりに近接していますので、神奈川と同じく血縁は充分にあったと考えられます。

「横木瓜紋」は秀郷一門361氏の中でも主要五氏の中にも入る名門です。
更に、「秀郷流青木氏」はこの「第二の宗家」と呼ばれ、最大勢力を誇った一門です。
そして、お家は、「丸付き紋」ですので、その「分家筋」と云う事に成ります。

恐らくは、お家の本家は、「中頚城郡金谷の青木村域」に住んでいたと観られます。
分家ですので、お家は、この北域に定住していたと予想できます。
尊父の出自先が「新潟の豊栄町の付近」にお住まいであったとのことですが、従って、一概に「豊栄町」が論外では無く、当時の慣習から、越後での秀郷一門の勢力圏では、「諏訪族青木氏」を山形の国境の北寄りに配置したように、分家のお家も北寄りに配置された筈です

数少ない情報が符号一致しています。先ず間違いは無いと思います。

この新潟には、現実に「横木瓜紋の秀郷流青木氏(秀郷流長谷川氏系青木氏 長谷川與善の子孫)」が赴任しているので、これに付き従って「現地孫」が定住したと考えられます。
「現地孫」、つまり、現地の「土豪の娘」と血縁して出来た子、これが理由で「分家筋の丸付き紋」と成った事が判ります。

では、この「土豪」は誰であったかという事に成りますが、「分家」と成った理由、「現地孫」と成った理由は、お家が現在でも青木氏であって、家紋も当時の家紋を保持しているという事は、「古志郡青木村(諏訪族青木氏)の「青木氏」と何度も「娘間の血縁」を繰り返していたと考えられます。
普通は、氏家制度の中では、「宗家」が「現地孫」にはこの家紋の使用は認めません、変わる筈ですが。

この「木瓜紋」は、元は「公家の徳大寺氏」が車紋に使用した文様で、これを使用を許されいち早く用いたのが、「秀郷流青木氏」です。

中でも、これを使う事に成った一門では、秀郷一門の主要五氏の内、「青木氏族」の「長谷川氏」です。
お家の御本家は、つまり、この「長谷川氏」とも血縁を持っている事に成ります。
室町期末期のお家の一族は、「武家」で「二足の草鞋策」を敷いて「大酒蔵主」が多かった筈です。
ご先祖を遡ってくださると判る筈です。

筆者の「伊勢青木氏」や「信濃青木氏」とも江戸初期前後には「商い」で大いに繋がっていました。
特に、伊勢に「酒用米の指導」をしたことの記録も残っていますし、江戸初期にお家らの「越後青木氏」とは「15地域の商業組合」も結成した間柄です。

念の為に、佐渡は御放念ください。
「佐渡青木氏」には独特の仕来りや掟や歴史があって、且つ、家紋も一致しません。
「日蓮宗の件」は、氏家制度の、武家社会の厳しい中で、仮にこの独特の庶民宗派に帰依した場合、お家は当地に住む事も許されませんし、青木氏も、当然に家紋も引き継ぐことはできません。
依って、出来るとした場合は明治初期以降と成ります。

「秀郷流青木氏」は、原則は、武家は浄土宗、赴任すると現地には浄土宗の寺がありませんので、「浄土真宗」を認められていましたが、領国に帰った場合は浄土宗に戻ります。
ただ、現地孫の場合は「浄土真宗「」と成ります。
「豊栄町の付近」に浄土真宗の寺がある筈です。
「墓所」や「戒名」をご覧ください。特徴がありますので直ぐに判ります。
先ず、簡単には墓所の有無や形で判ります。


尚、千葉には、青木村は形成していませんが大変に多く青木氏が存在します。
元は親族であった筈です。
この「秀郷流青木氏」は「116氏」で「24地域」に分布しています。
その最大の一つが新潟です。

「千葉青木氏」ですが、秀郷一門の中でも最大勢力を誇った「関東屋形」と呼ばれた「結城永嶋氏」の膝下で、「結城永嶋氏」は「青木氏族」と呼ばれて室町期中期までは関東から伊勢までその勢力を張っていました。
江戸幕府の高位の御家人に成っています。
秀郷流一門は、武蔵入間を中心とし横浜神奈川を半径とする一円を領国としていました。

ご質問や何か判りましたらご遠慮なくお便りください。
お待ちしています。



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