「南方熊楠」を良くご存じの様ですが、筆者の家とは祖父、父と大変に懇意にしていました。
然し、「美化された彼」に付いては、当家は残念ながら良い印象を持っていなかったようです。
「歴史」とは中身はこの様なものです。
彼の周囲でも、「中身」を知っていたのは当家だけでしょう。
さて「伝統」とは、「時」が進むにつれて薄らいで行きます。
一度、その「伝統」が途切れると、それは、その「伝統」と云うものは「記憶」の中には途切れて、ばらばらに遺されていて、それを一つ一つ集めて分別して接着剤で繋合わせ、更に、又、纏めたものをそれを組み合わせて一つのものに仕上げて行く根気のいる作業です。
お家も、明治初期まではこの「伝統」は何らかの形で遺されていた筈です。
取り分け御本家筋にはあった筈です。
明治期以降は社会構造が全く変わり、その氏家制度の伝統の持つ意味も無く成りました。
そこで、何処でも起こる様に、曾祖父、祖父、父と「伝統」を軽んじる事で、「伝統の網の目の糸」が切れて消えて行ってしまう事に成ります。
明治以降、なかなか伝統を護り通す余裕はどこの家でもなかった時代でした。
筆者も、歴史的に幸い三度の出火の消失を免れて、自分の家にも資料や口伝も各所に遺されていた資料があって、これを元に戻そうとして集めて整理して一つにまとめ上げる事が出来ました。
それでも50年以上もかかり大変に苦労しました。
幸い「近江佐々木氏」も同じことを明治期から始めて、奈良期から縁戚関係にあった青木氏族の研究記録もあって、突き合わせることが出来ました。
「日本書紀」にも出て来る事で、それを証明する「奈良期の古遺品」とが一致し本論と成っています。
お家も幾つかの思い当たる事を先ず引っ張りだして、考察して繋ぎ合わせる事でも「相当な伝統」を蘇させることができます。
大元のお家の「秀郷流青木氏の事」は判っていますので、お問い合わせいただければ更に進むと思います。
尚、平安期に越後に赴任した初代は、「青木氏族の秀郷流長谷川與善(横木瓜紋)」と云う者で、これに付き従った「秀郷流長谷川氏系青木氏(横木瓜紋)」が護衛隊として赴任しています。
a酒造業等を営んでいたご先祖の洗い出し。
b商いを営んでいたご先祖の洗い出し。
c江戸期の浄土宗か浄土真宗化の洗い出し。
d江戸期の菩提寺の洗い出し。
e御本家筋の洗い出し。
f明治期の日蓮宗に宗派替えした時期や経緯の洗い出し。
参考として当時は、氏家制度の中では、伝統あるお家の「宗派替え」は大変な事で親族間では重大事件に成ったと思われ、ご尊父が「先祖の事」を口伝で未だ覚えている御年齢の筈で伝えなかったという事は何かあったとも考えられます。
そこから、次第にお家の歴史が見えてきます。
基本的な事についてお尋ねいただければお答えします。
ご遠慮なくお便りください。