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  [No.280] Re: 福岡の青木さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 11:54:14

Re: 福岡の青木さん
副管理人さん 2007/04/29 (日) 22:09
福岡の青木さん 今日は。

さて、家紋が違うとの事ですが、どのような理由で違うとなったのでしょうか。

結論から申しますと、下がり藤紋は本来は藤原氏の家紋でした。しかし、この家紋が「下がり」という意味から嫌い藤原4家はこの家紋使用を嫌いまして、上がり藤紋などの家紋に変更したのです。
藤原氏は全部で97氏に成りますが、この内、藤原秀郷一族9氏だけがこれを使用しています。
この内、藤原秀郷流青木氏は北家で藤原鎌足の直系筋ですので、この綜紋の「下がり藤紋」(副紋使用)を使用しています。

と云う事は、上がり藤紋の一族には青木氏はありません。
下がり藤紋の青木氏は秀郷第3子の千国から発祥し4代目の兼光系から青木氏出ています。
17代目の後には行久系青木氏に成ります。これ以外には116氏の青木氏はありません。

以前にも書きましたが、「藤原秀郷一族の生き方」を一度お読みなってください。詳細がレポートしています。

このことから、今回の情報とあわせると、以前のレポートからもお判りと思いますが、全ての条件が整いません。

そうしますと、後は第3の青木氏と云う事に成ります。
この第3の青木氏には3期に発生しました。
先ず第1期は、室町末期の戦乱の時代に搾取偏纂で伸し上がった者が家柄を脚色するために多くの者が侍になり役職を取る為に青木氏を名乗りました。
第2期は、江戸初期の混乱から安定期になった時点で武士になった者が出世に必要とするので青木氏を搾取偏纂の系譜を作り名乗りました。
第3期は、明治初期に苗字を持たない一般の者が寺に高額の金品を出して系譜を作ってもらい名を役所に提出して名乗りました。
というのも、嵯峨天皇期に青木氏使用の禁令の詔を出していますので、皇族以外の者が青木氏を名乗る事は出来ませんでした。
ですからこの3混乱期にこっそりと名乗ったのです。

ですから、この青木氏は皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏に備わった数種の条件が備わっていません。

ところで上がり藤紋を使用する氏にも一定の条件があります。
特に、この上がり藤紋には25の文様があり、各地の藤原氏で違っています。どの上がり藤紋かお調べになる必要があります。

特に、よく見かける丸付き紋の下がり藤紋や上がり藤紋の藤原氏は一族を名乗る家がありますが、実はこの藤原は元来、副紋方式で使用して家紋を維持してきていますので丸付き紋を使用していません。この様なことで判別がつくのです。
1000年以上男系で副紋なしの綜紋の下がり藤紋を維持してきた青木氏であれば、先祖名と菩提寺と家紋や先祖の室町以前の過去帳の古い年代が明確で、矛盾が少ないのが現実です。それなりの伝来品などをも維持している筈です。
本来、笹竜胆紋や下がり藤紋などのように丸付き紋が無いのに丸付き紋の藤原氏や青木氏を名乗っている氏はこの第3の歴史の新しい青木氏です。

この様に明らかに矛盾をはらんだ第3の藤原氏や青木氏があるのです。この青木氏はルーツや菩提寺にはたどり着けません。賜姓青木氏と藤原青木氏の2つの青木氏には一族だけを祭る浄土宗の菩提寺が本家筋の所には必ずあります。
本来の青木氏や藤原氏よりこの第3の青木氏、特に明治初期の方が多いのです。
本来の青木氏には先祖伝来の菩提寺は確実に把握している筈です。

御家は薩摩藩士とされていますので、上がり藤紋との事ですので、江戸初期の青木氏である可能性が高くなりました。

ただし、何で下がり藤紋の藤原秀郷流青木氏から矛盾のある第3の青木氏の上がり藤紋に成ったのでしょうか。
疑問が残ります。
また、お便りお待ちしています。



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