青木ルーツ掲示板
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  [No.314] Re: 古川さんへの回答
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 15:03:37

Re: 葵木さん
副管理人さん 2007/07/23 (月) 21:13
青木研究員 [副管理人] 2005/07/03 (日) 23:28
貴方のルーツは藤原北家の藤原秀郷流兼光系の長沼氏系の青木氏であることは今日の情報の4つの事で更に確実になりました。
兼光系には青木氏があり、十分に附合します。
当時は一族を固め強力にするために互いに血縁関係を作り、いざというときは結束を強くしあつまりました。
多分、長沼氏と青木氏との血縁を結び、長沼氏の縁者家来としてその系列に入ったものと考えます。
先ず、藤屋の屋号ですが、当時は武士(郷士)で商いをするものが
屋号としてつける場合は、米屋の場合だと尚の事、自分のルーツの国(武蔵の国、下野の国)のイメージを持つ屋号としました。
あなたの藤原氏系列の氏族ですから、米は藤原秀郷の国の武蔵国の米(当時は関東平野の米は銘柄米)をイメージするために藤を採って「藤屋」としたのです。例えば、伊勢屋、近江屋、松前屋、摂津屋など米などの主な商いは全ては国の名を採りました。
伊勢屋のイメージは和紙と綿となります。
つまり、この藤屋号からはルーツは武蔵の国の米となります。
次に宗派ですが、曹洞宗ですから、この宗派に入信した人たちは本家本流とは別に支流系の武士が入信しました。
(藤原秀郷の本家は浄土宗です。古来からの名家の本家筋は浄土宗です。)
良い例ですが、松平の家来はこの宗派に入り、一時、家康に反抗しました。これで長沼氏系青木氏であることはほぼ間違いはありません。
次に、葵坂の件ですが、その様なことはありません。
なぜなら、明治初期に姓を付けて役所に届けるには、全員菩提寺に相談してつけてもらいました。それは、それまでは戸籍簿はお寺の仕事でした。過去帳を管理していましたので。
自分勝手にはつける事は親族一統などいますから同じにする必要があります。ですからこの関係を知っている寺に相談する以外にないのです。そこで、当然、米などの商いをしているのは郷士ですから、普通は2足の草鞋を行っている「郷士」(ごうし)ですから、元の青木姓に戻す事になりますが、
ここで難題があります。つまり、寺で姓を付けてもらうには金品が必要です。大変な高い値段を悪徳につけたと言われています。
他の私のレポートに記していますように、青木姓は高貴な姓で江戸期まで名乗ってはならない姓でした。(嵯峨天皇期に決められた)
貴方のお家は当然この青木姓に戻す事になりますが、大変な高額な金品を要求されたものと思います。
まして、その寺はルーツの寺ではありませんから、多分受け付けなかったと考えます。そこで、止む無く、同じ音の葵(葵坂か)と木を繋げて「あおいき」を「あおき」呼ばす事で何とか妥協したのではないかと考えます。これであれば同じ音で安くつけてもらう事で証明と寺が納得して出来て届けることが出来たのでしょう。ルーツの菩提寺では問題なく出来たはずですが。150年もたっているので
難しく江戸の寺に依頼したのでしょう。従って、家紋は家紋200選にありながら姓が極めて少ないという矛盾はこの理由です。これで確実に情報矛盾はなくなります。つまり間違いがないということに成ります。
1800年頃の戒名に何か更にヒントがあるかも知れません。ルーツの武蔵国の村名が判明したら100%です。その村に関する判定材料を調べると出ると思います。頑張ってください。
いつでも協力します。後一息です。



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