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  [No.759] Re:静岡の青木さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/10/15(Fri) 09:05:12


静岡の青木さん 今日は。
お便りありがとう御座います。

そうですか。元は浄土宗でしたか。つまり、ご本家が浄土宗と言う事ですね。
ご本家との間に何かあった事のようですが、清水市に移り住んだお家が藤原秀郷流青木一族であった事として家紋を薄ら覚えで「下がり藤紋」の綜紋そのものを家紋としたか、又は破門の扱いを受けた事からご本家の家紋を使えない事から止む無く綜紋を使ったと云う事に成ったかの何れかの事情が起こったかですね。
更に、過去帳がご本家の仕打ちで無く成ると言う事が起こったかも知れませんね。
清水市の前は判らないと云う事ですが、青木氏がもっとも多くすんでいる地域の武蔵の領国の埼玉か神奈川横浜付近の可能性が江戸期の歴史的な社会習慣から高いですね。
恐らくは、神奈川横浜地域であろう事が考えられます。
江戸末期から明治にかけて、神奈川横浜から隣の静岡付近にこの青木さんは多く移動しました。

実は、この事は「浄土宗」と云う宗派には大きな特徴があります。
浄土宗は古代密教です。
つまり、この宗派は特定の青木氏や藤原氏等の高位の限られた氏に依って「宗派の運営管理」がされていて、その代わり他の者の入信を拒みました。
当然に、住職は自前の氏の者から出す、寺の建立や運営費は自ら一族一門が出費、墓も一族一門だけを祭祀、等の密教の決まりがあります。
ですから、寺の運営にに出す個々の家の費用は大変な額になります。当然に本家分家支流分派分流に依ってその出費額は異なりますが、浄土宗である事自体大変な事なのです。

その為に、江戸に入って氏家制度の一門の力が弱まり宗派の維持が困難となり廃寺になる寺が多く成り江戸幕府の財政的な負担が莫大と成りました。
そこで、家康はまずこの建て直し策を打ち出しました。
限定した高位氏だけの密教方式を緩め、中級武士以上の者がだれでも入信できるものとしました。
しかし、矢張り寺に布施する維持費は高く全国的に普及入信する事も寺も特定地域から全国的に拡がると云う風には成りませんでした。
この状況は明治まで続きました。維新政府も力を入れて密教方式を止めて誰でもが入信出来る宗派としましたので大正時代までには全国的に普及しました。
現在でも、矢張り、浄土宗は他の宗派に比べて維持費や布施が高いのです。

ですから、浄土宗に入っていること自体が大きな要素に成ります。明治になって社会体制が変わりましたので氏家制度がなくなり浄土宗に入っていること自体が本家筋でなくては無理な状況でした。
現在でもかなり難しいですよ。
お家のご本家との関係が破門等により疎遠になれば当然に浄土宗には入っている事が困難になりますね。

今回のお家の情報に依って、「破門」や「ご本家が浄土宗」の事で、これでよく判りました。

この様な場合は、普通は未勘紋の「丸付き紋」を使用するのが慣例です。
未勘氏紋は、恐らくは一族一門か縁者かであろうが、先祖の確認が取れない場合とか、お家の様な場合とかは丸付き紋を使用する掟です。

お家の様な事が昔の氏家制度の中では茶飯事でしたので、普通は丸付き紋を使わない氏の家紋なのですが、この場合には「未勘氏」として「丸付き紋」を使用するのです。丸付き紋が多いのは明治期の青木氏を含むことでも多く成っているのです。

お家のご本家の家紋を使えないとしたら、向後の事として、この丸付き紋の「丸に下がり藤紋」とする事が妥当であると考えます。

この様な一寸した情報で当時の慣習や史実から検証する事が出来るのです。

お答えする事は青木本サイトの目的ですので、これからもお気遣いなくまた是非お尋ねください。

これからも何か面白い事やご質問やご不明な点が有りましたらご遠慮なくお尋ねください。
お待ちしております。



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