青木ルーツ掲示板
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  [No.767] Re:兵庫県氷上郡(現・丹波市)市島町中竹田の青木は?
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/12/23(Thu) 11:20:30

兵庫の青木さん 今日は。

お便りありがとうございます。

さて、頂きました青木のデータは承知していますが、江戸期前と明治期以降では社会体制が異なっています。依って一概にはルーツ発祥地としてのデータとしては使う事は難しい事ですね。
江戸期前は氏家制度の社会でした。氏が集団化して住み互いに氏の宗家を中心にして助け合う社会でした。当然、移動禁止の社会です。従ってルーツはある特別な歴史的な縁ある地域に限定されてきます。
明治期は移動は自由の契約社会ですからそこに青木氏が多いからルーツの場所とは云い難いものがあります。明治から既に150年も経っていますので移動先で子孫が拡大している可能性があります。

この青木氏は先ず皇族賜姓族は奈良期から平安期までは少なくとも次ぎの国の「守護王」でしたので、伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐の国に限定されます。村を形成する事を許可された氏です。
この5つの国以外には原則分布していません。原則外として伊豆と土佐と米子と摂津、神奈川、栃木以外には分布していません。
この原則外の地域は、この5家5流の青木氏が本領地とは別領国で子孫を遺した伊豆、摂津、
織田信長に攻められた甲斐青木氏の逃亡先で子孫を遺した神奈川、栃木、土佐
足利氏系列で同族争いで逃亡して定住した地域で子孫を遺した米子、八頭、出雲
この3つの青木一族が近隣に伸びて子孫を遺した地域の常陸、上野、越前
嵯峨期の詔勅により名乗った皇族出身者の末孫が分布する地域 甲斐、武蔵鉢形、日向、武蔵丹治、
嵯峨期の詔勅で名乗った甲斐の皇族青木氏
平安期に皇族の者が罪を得て配流先で子孫を遺したものが嵯峨期の詔勅で名乗ったものとです。

以上、皇族賜姓青木氏の奈良期からの分布地域と皇族青木氏の分布地域です。
この二つは他氏と違い皇族と云う身分家柄で氏家制度の中でも特別に血縁や定住地が制約されていたので分布が限定されているのです。この5つの地域は天領地でそこを護る王であったのです。
この5つの青木氏は天皇家直系子孫同族で源氏とも同族です。第6位皇子出身族氏です。天皇から直接青木と云う氏を与えられた天皇の第6番目の皇子です。
天智、天武、文武天皇、聖武天皇、光仁天皇の第6位皇子です。
この皇族賜姓青木氏は天皇を直接護る身内の近衛親衛隊です。

藤原秀郷流青木氏では武蔵入間を中心に神奈川横浜を半径とする円状に分布する藤原氏北家秀郷一門の主要5氏の一つで、一門の「第2の宗家」と呼ばれる嵯峨期の詔勅を直接朝廷に申請して特別に名乗る事を許された青木氏で、皇族賜姓青木氏とは母方で繋がる事から青木氏を名乗る事が許されたものです。この青木氏は秀郷第3子の千国が始祖と成ります。日本最大の氏で貴族公家の藤原氏を護衛する武士団です。全国24地方に赴任してその土地に子孫を遺してきました。
全国に特定地域に分布しています。
未勘氏、第3氏の青木氏は明治と室町末期に村の長の氏を絆で名乗った無血縁の氏で、これ等の地域に分布しています。

お便りの前半は青木氏とは無関係の密度問題です。
何れの青木氏も密度に依って氏が分布したものではなく身分家柄とそれにまつわる地理的な発祥源です。
昔は氏が集団となって村を形成する事は朝廷の許可なしでは勝手に出来なかったのです。
2つの青木氏を始めとする特定の数少ない氏にしか許可が下りませんでした。
(地名地形データーべースにある青木村をご覧ください。)
皇族賜姓青木氏5家5流は日本で最初の正式な「氏の発祥源」で、「侍の発祥源」で、「武家の発祥源」です。

そこで、後半の2つのお尋ねですが、
先ず前半の定住地の理由ですが、上記した事によります。
ただ、お家の摂津青木氏のその移動理由は一つは同族の川島皇子から発した近江佐々木氏系とその佐々木氏系青木氏との同族争いで平安期初期に天皇家の許可を得て滋賀に一族全てが移動したのです。その滋賀を赴任地の命を受けて平安期中期まで定住します。しかし、宇多天皇が第6位皇子を滋賀の佐々木氏を賜姓します。この為に、滋賀にいた近江青木氏は職を解かれて近江に戻りますが、当地域では定住は困難なために近江の南の天領地の摂津に移動と赴任を命じられます。
これが摂津青木氏です。
他氏と異なり、皇族である事より身分家柄の釣合で血縁をする氏家制度ですので、またできるだけ純潔を保つ原則からその相手となる氏が少なく平安中期から出た同族の賜姓源氏か藤原氏以外には血縁族がなかったのです。従って、摂津は嵯峨期から発祥した同族の賜姓源氏の清和源氏の宗家頼光系源氏との血縁しかなく、この摂津がこの賜姓源氏と賜姓青木氏が護る天領地です。その2つ賜姓族の根拠地であり、そこを護る賜姓青木氏と平安中期からは賜姓源氏の清和源氏が護ったのです。
摂津は天領地ですが、摂津青木氏は当然に頼光の一族とも同族血縁をしています。
5家5流の青木氏は全てこの摂津源氏の頼光系の清和源氏と同族血縁をしています。
この同族血縁が崩れたのは鎌倉幕府からです。

”青木一族がどうやってこれらの在来勢力に匹敵する勢力に成長”
このご質問は上記の通り逆なのです。
元からその土地の守護王であったのです。
在来勢力が摂津青木氏とその親族の清和源氏頼光系一族なのですよ。
書かれている姓氏はその家臣の中から立身した者が室町期に自分の姓氏をつくり名乗ったのです。
記入されている姓氏は恐らくは室町末期か江戸初期の立身出世の発祥氏です。
鎌倉期にはそれ程氏が多くなかったのです。平安末期までは氏の発祥は許可制です。
許可された氏はそのルーツが明確ですし全国には80−200程度しかなかったのです。
許可が取れて自由に氏名を名乗れるのは室町中期頃の混乱期下克上からです。

鎌倉期では分家頼信系の源頼朝により「旧領安堵策」「平家没官僚」策でこの5家5流の青木氏と源氏は平家などに奪われた土地がもどされたのです。
特に皇族賜姓青木氏は「不入不倫の件」が永代に保証されていて周囲の豪族から余り襲われ奪われる事はなかったのです。平家と信長を除いては。
摂津も一時その権力を平家に奪われますが、土地の利権は保持されました。


”武力闘争か新田開発か何か は判らないのですが・・・兵庫県氷上郡市島町で勢力を伸ばしてきたのではないかと”
この件は既に上でお答えをしています通りです。

”青木姓は近畿地方・・・特に北近畿・兵庫県内にもあまり 存在していないのですが”
摂津でどの程度の量で有無を表現されているかは判りませんが、
上記した皇族賜姓族のしがらみで他氏との歴史的な由来が異なりますので比較は難しいと思いますが。
しかし、この件ですが、そんな事はありません。伊勢神宮の伊勢の守護王 筆者伊勢青木氏で伊勢と共にその青木氏の総宗本家ですが、伊勢には員弁、桑田、松阪、四日市、名張に大きく分布しています。
近江や滋賀、米子、出雲鳥取、越前福井よりにも大集団の青木氏が村を形成して分布していますよ。
関東に行けば青木さんと言えば皆”はい”と言いますよ

ルーツ掲示板にも多くのお便りが寄せられていますので一度検索でお読みください。

皇族賜姓族に関してと江戸期前の社会体制の氏家制度に関して、お便りではご理解されていない様子ですので、研究室の関連レポートを先ずお読みください。詳しくレポートしています。
膨大な資料ですがゆっくりとお読みください。恐らく歴史マニアになると思いますよ。
これからも研究レポートを予定しています。
近々、青木氏と神明社(氏融合)の論文を投稿します。

お家のルーツは江戸期前にあるとすると摂津青木氏となります。
宗派は江戸期の「ご本家」の宗派を確認ください。分家では無理ですので。
浄土宗菩提寺は摂津にある筈です。
清和源氏の氏神社の付近にある筈では。

摂津青木さん ご不明な点やご質問などありましたらお尋ねください。
何か摂津で変わったことがありましたらお知らせください。



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