青木ルーツ掲示板
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  [No.822] Re:青木直孝について
     投稿者:福管理人   投稿日:2011/12/22(Thu) 11:39:52

追伸
ご親戚に会われたら次ぎの事をお調べに成ると良いと思いますが、
青木氏であられるので敢えて追伸致します。
その前に予備知識として。お尋ねの重要な事をこの際にお伝えします。

旗本は全部で”5200人”いました。
御家人は17000人いました。
5000石以上は112人です。
5000石程度は73人です。
その中で、青木氏は2人います。
残り8割は全て500石程度です。

3000石程度では歴史的に有名な小笠原氏等がいますが3000石以上では歴史に出てくる程度ですし、現在でもその末裔の存在は確認出来ています。

豊臣との戦いで功績のあったその一人は摂津麻田藩1万石の藩主弟の「可直」と云う人物で、後に取り立てられて旗本に成りましたが、兄から4千石と1千石を親からの遺産本領安堵されて5000石に成った人物がいます。
この家は「霧に富士紋」で「浄土宗」で「丹治氏系青木氏」です。(上杉家とは無関係です。)
領土は大阪の河内にありました。発祥地は関東の埼玉です。氏の出自は明確でして「武蔵7党」と呼ばれる土豪の一つの氏です。元は徳川氏の家臣ではなかったです。江戸初期過ぎに旗本に取り立てられます。

その由来は平安時代に皇族の「多治彦王」と云う者が罪を犯して関東に配流され、そこで土地の土豪「丹氏」との間に「配流孫」がうまれ、「嵯峨期の詔勅」にて青木氏を名乗った氏です。

後一人は筆者の遠戚で後に吉宗の代に特別にある事由から「布衣」の身分に成ります。大名大身旗本の扱いです。江戸は全国から多く集まってきた土地柄で青木氏に関しては全てこの様に「特定の国柄」を持っています。

以上の事から、5200石は”旗本 5200人”を口伝で間違え伝えられたのではありませんか。

ルーツを探る情報が何も無くなると云う事は5000石以上の旗本は現在でも判っている事から疑問です。多くの末裔がいるのですから、お説の強調する”戦争や災害”で無く成ると云う事は無いのです。
お説の”戦争や災害で戸籍謄本が無くなる事”はありません。枝葉の末裔親族が復帰させる仕組みに成っています。
ご先祖があるのであれば仏壇がありますよね。仏壇あればお寺がありますよね。お寺があれば宗派がありますよね。宗派が在れば過去帳などありますよね。
例え、”戦争や災害”があっても、再びご先祖のを祭る仏壇を買い揃えますよね。墓も戻しますよね。
親族が「枝葉」で広がっている限りは忘れる事は無い筈ですよ。「家紋や宗派」は無形で燃えませんからね。
「家紋と宗派」が無い事、又は判らない事の意味をご理解ください。

昔は「国抜け」と云いまして、旗本を除くと許可の一定期間が過ぎると「江戸の侍」は国に何時か帰らなければならないのですよ。そうしないと、一族郎党全ては惨罪ですよ。

前記した「2つの出自の青木氏」は後から徳川氏の旗本に成ったのです。根っからの旗本ではないのです。その経緯がどの青木氏もはっきりしています。つまり国があるのです。
江戸を国とする侍は太田氏以外は極めて少なく青木氏は全て国が決っています。旗本も国は三河が殆どで、後に旗本や御家人に成った者ばかりですよ。従って、家紋や宗派は国許にあるのです。

結局、”5200人の旗本”の中の青木氏ははっきりしていて特定できるのです。

だから「家紋・宗派」が判らないとする本家筋の青木氏は先ずないのです。
例え、明治期の第3氏の青木氏に於いてでさえもです。

ですから、「家紋と宗派」で「国許と出自」が特定できるのです。それが「6つ」あると説明しています。
第3氏の青木氏でない限りは、この中に必ずある筈です。”家紋と宗派”で判るのです。

これ等の以上の事は全て青木氏のレポートに詳しく記述されています。

江戸には「6つの青木氏」のルーツが移動定住してきています。
全てこのルーツは判っていますが、上杉家との遠戚の青木氏は資料の中には見当たりません。
(どの上杉家か判りませんが)

ご親戚と話される場合にはこの事を留意する事を進言します。



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