青木ルーツ掲示板
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  [No.838] Re:丸に片喰 越後の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2012/02/09(Thu) 10:22:24

新潟の青木さん 今日は。

昨年の自然災害の被害に今年も豪雪で大変ですね。お見舞い申し上げます。

私は暖かいところに住んでいますのであまり自然災害の被害には疎いところがあります。
特に、テレビで豪雪を見ていると何時も疑問を感じるのです。
というのは、毎年あれだけの雪の被害がありながら、屋根に積もった雪が落ちて色々と被害が出ている事に”もう少し何とか成らないものかな”と感じます。
たとえば屋根の傾斜をきつくして雪が滑雪する様にしたらどうかとか、屋根に酸化チタンの液を塗布して雪が付着し難くすればどうか、屋根の尾根に水或いは風呂の残り湯などをポンプとパイプを組み合わせて散布して雪と屋根の間に表層雪崩が起こる様な道具を取り付けてはどうか等何時も思うのです。難しいことではないし金額もかかりません。植木鉢に自動で水やりする装置(市販)を屋根に取り付ける事で済みますが。
暖かい地方では除雪と同じ様に夏の植木鉢や植木の水遣りも大変ですがこの様な装置を作って枯れないようにしています。

さて、私の質問に対してお便りありがとうございます。
判りました。

越後には幾つかの青木さんの住み分け分布がありますが、信濃県境から陸奥の県境までに日本海に沿ってライン上に住み分けています。
お家のご本家の位置がどの青木氏の影響を受けているかの確認をしたかったのです。特に信濃との関係がどの様にあったかの可能性を確認いたしました。
お便りから無かったと考えられます。矢張り亀田郷ですので、前回お答えした事に尽きると考えます。

前回のお答え
>越後において諏訪族青木氏との血縁を含む絆が有ったのではないかと考えます。
>藤原氏の春日社、青木氏の神明社を選ばず(第1回目のお便りでは?ですが選んだとすると問題はない)、諏訪族青木氏との血縁を重視した事に成ったのではと考えます。これを証明する資料と情報は有りませんが私はかなり確率が高いと見ているのです。
>氏家制度は血縁は家柄身分のつりあいを前提にしますので充分に有りうる事と思います。
>推測の域を越えませんが、同じ青木氏であるので、そこで「神社」は諏訪族側の諏訪社を、「寺社」は秀郷側の真宗とし、「家紋」は抱き角紋より男子側の片喰紋の家紋を、「墓所の形式」は諏訪族は神道であるので元の浄土宗密教の仕来りを引き継ぐとした取り決めをしたのではないかと考えているのです。
>つまり、この事から秀郷流青木氏と云う事に成りますが、この様な事が起こったのでは。

現在投稿中の神明社の論文で東北北陸域の処にもこの地域の特徴を論じています。

次ぎは「屋号」の件ですが、本家筋の末裔、分家筋の末裔などを見極める為に昔は用いたものです。
”屋号を持つ”と云う事はかなりの「枝葉の家系」を維持している事を意味しますが、一般の農民は家系は維持する習慣が無かったのです。寺においても過去帳を持ちませんし人別帳のみですから「屋号」は持つ事は不可能でした。
お家は庄屋、名主、豪農、郷士などの農業に従事した家柄で元は武士を先祖に持つ家柄か郷士身分であった事を意味します。
枝葉の多い家系では「屋号」は同じ一族の青木さんですので本家分家等の位置づけをはっきりとさせる手段の呼び分け方法でした。
特に越後においては4つの青木さんとこの「青木さん同士の血縁族」が存在したので、余計にその「屋号」での呼び分けは重要さを帯びていた事が伺えます。「屋号」でどの青木さんの本家分家筋かが判る様にしていた筈です。

例えば、筆者の伊勢青木氏は伊勢青木氏は伊勢青木氏ですが、主2つの伊勢青木氏があって一つは皇族賜姓青木氏と特別賜姓青木氏とこの二つの青木氏の血縁族の青木氏の3つがあってそれぞれ伊勢の各地に住み分けしていました。そして、これ等には総宗本家、本家、分家、の枝葉が出来上がっていてこれをどの様に呼び分けるかで襲名、通名、屋号、商号、(2速の草鞋策)、地名で呼び分けてこの3つの青木氏のどの家筋の者かを判る様にしていました。

この「屋号」の事から信濃と陸奥と甲斐との関連は少ないと考えられます。
恐らくはこの屋号には「襲名」と「通名」と「地名」(氏の区別)も併用されていたと思いますが現在ではそれが完全に消えてしまっているのです。
もう少し「屋号関係」をお調べに成って復元されると完璧と思います。
襲名、通名、屋号、地名(村より小さい地名)の呼び分けが必ずあった筈です。
前回のお答えが更にこの事で確認される可能性があると観ています。
「屋号」があると云う事は「違う」と云う事の判別方法ですからね。
「諏訪社の事」、「宗派の事」はこの屋号ごとに少し違っていたのではないでしょうか。
特に「諏訪社」と「真宗寺」の事に付いて何か「屋号」から出てくる事が考えられます。
と云うのも、慣習として神社や寺社では寄進するとその石碑や灯篭や寄進札や道灯篭が遺されているのです。
仮に諏訪社や真宗寺との関係があるとするならば必ずこの石碑や灯篭や寄進札や道灯篭がある筈です。(寄進帳等は長い間に消滅している事がありますので難しいかも知れません。)
”地所の移動も真宗寺の移動”としてお答えですが、真宗寺の移動をお家のルーツに関わっているとすることの根拠もこの方法で判る筈です。
この石碑では「境内の周囲の垣」として並んで建てられたり又「道路標識」としても立てられています。
この時に氏名か屋号や襲名や通名などの形で記録がある筈です。
これは石ですので消滅することはありません。
因みに筆者の場合は、伊勢神宮には4つの大標識燈籠があり現在もあります。また青木氏菩提寺にもありますし、神明社の守護神にもあります。恐らく1000年以上の歴史が在るようです。
無ければあまり関係を口伝で伝えられていても無かった事を物語ります。
これはルーツを探る為には大変に重要な証明手段物になるのです。
「屋号」がある事はこのようなものがある事を示しています。

兎も角も、越後の亀田郷の中沢氏系秀郷流青木氏さん-祖先の愛知中沢地区の秀郷流青木氏 と云う事になると思います。

では、またお便りお待ちしています。



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