青木ルーツ掲示板
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  [No.868] Re:主人の家系は代々青木 重○です
     投稿者:福管理人   投稿日:2012/09/24(Mon) 15:25:44

新潟の青木さん 今日は。

さて、お答えがお役に立てて良かったです。
これからも色々な地元のお話など有りましたらお便りください。

この度、約400年前とのお便りに付いて、まさに時代年数が一致してますね。
石川付近に移り其処から新潟に移動されたとすると江戸初期前後の事ですので、先ず間違いはないと考えます。

次ぎに、商号がカギに十字紋との事ですが、このお便りも更に証明しています。
日本海沿岸には昔は港が多く、且つ、「山陽道」に繋がる「北陸道」とそれに平行に「商業港」が多くあったのです。  そしてこの沿岸沿いには陸奥現在の青森県まで商業港を繋ぐ「商業道」があったのです。
現在では「細い道路」として「古道」として消えていますが、あったのです。

そして、「カギ」は船の碇を示し、「十字」は当時の輸送用の「荷車の大八車」の車の縦横の輪を支える軸を示しています。つまり、「海陸の輸送業」であった事を物語っています。

新潟にお家が移動した理由が想像できます。
新潟は昔、北陸の経済の拠点でしたので、ここに支店を出した為に一族の一部が移転したと観られます。
最初の移動先の地理的環境から観て充分に納得出来ます。
財を成して地名の「金沢」を付けるくらいですので納得出来ます。
実は、昔は江戸期まで国を勝手に抜ける事は禁止されていて、「国抜け」として一族は「打ち首」に成るのです。「武士の任地の移動」と「商人の経済活動」の為に届ける事で許される時代でした。
移動して、その地に子孫を遺すのは「武士と商人」以外には原則無かったのです。
400年前に新潟に移動したと成ればこのどちらかですが、「長崎屋」と言う店を営んでいたとすると商人になっていて移動が出来たのです。
それ以外の者は「国抜者」としては財を成すこと、地名を付けるなどの事は出来ません。

それと石川から移動して来ていますので、過去帳や菩提寺が判らないと云う事も商人であった事を物語っています。実は武士以外は「人別帳」に移動者は書き込まれるのです。
人別帳は村では庄屋に、商人は寺等の「人別帳」に書き込まれますので「過去帳」と異なり系譜は無くなり自然に消えて行くのです。国抜けの制度に依って400年前に新潟に移動したとなれば商人と成ります。
当然に「過去帳」は「2足の草鞋策」を採用する武士であったとすれば、石川か奈良か埼玉足立にしか無い事を意味します。武士を捨てたとすれば当然に過去帳はありません。人別帳です。
遠い昔の先祖の過去帳は本家の過去帳に存在するのですが、分家が大きく成らない限りは過去帳はなく成ります。従って、武家で移動すると移動先では菩提寺は無く、江戸初期の丹治氏の菩提寺か麻田藩の菩提寺にしか過去帳はなくなります。
(檀家寺を建立するだけの力財力があった場合 丹治氏と麻田藩にはありました。)
普通は武士はその土地で骨を埋めたとした場合は檀家寺と成りますので、原則人別帳と成ります。菩提寺に遺そうとすると納骨して本家の菩提寺に埋葬してもらう事に成ります。
移動してその地に定住した武士の殆どは檀家寺と本家菩提寺にも納骨するのが慣習でした。
そうすれば系譜として過去帳に記載される事に成ります。
氏家制度の社会ですので、本家筋に断わられれば檀家寺と成ります。
この様に「人別帳」と「過去帳」とは異なります。現在使われている過去帳という言葉は明治以降の言葉で両方の意味を含んでいる言葉と成っていますが、江戸期以前は完全に分かれていたのです。

これ等の事から、本来移動定住できないのに400年前に移動していて定住していますのでお家の場合は無いのが正しいのです。つまり、石川では既に商人に成っていた事を物語るのです。

そもそも中級武士以下は過去帳がある事が当時の慣習では矛盾なのです。下級武士ではそのような財力はありません。
武家を構成する氏以外の一般の民は「過去帳」を持ちません。そもそも中級武士以外は墓そのものを設ける習慣が無かったのです。あっても「河原の石」か「泥岩」の「路傍の石」の墓で自然に消えて行く事を習慣としていたのです。仏教の慣習でした。一般の者の墓石などの現在の習慣は全て明治以降の事です。
「過去帳」はその「氏の菩提寺」のみに存在するものですので、「檀家寺」には原則ありませんでルーツの系譜を引き継がない人別帳です。現在の地域にいる人の存在のみ記録するシステムですので系譜はありません。
前回のお答え通り丹治氏系青木氏で麻田藩の分家で分家で石川に移動して更に新潟に移動定住していますので本家の菩提寺に納骨は困難と思いますので、檀家寺と成ります。
問題はお家の昔の宗派は何宗であったかをお調べに成ると「2足の草鞋策」ではなく「商人」になっていた事を確定できます。過去帳がない理由がはっきりしますよ。


商人となれば伊勢青木氏と信濃青木氏の大店との繋がりは充分に納得出来ます。
実は他の青木氏との繋がりでは廻船業との繋がりが多いのです。
特に他の青木氏の中でも瀬戸内の廻船業を「2足の草鞋策」としてのその繋がりは強かったのです。
筆者の予想通りでした。

この様に、ちょっとした事がルーツを物語る事が多いのです。

また何がちょっとした事でも判りましたらお便りください。



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