こんにちは。お世話になっております。
先日、祖父が他界したため帰省しておったのですが、
私の祖父の従兄弟がご先祖のルーツを調べた史料を受け取り
いくつか新たに分かったことがあったので共有いたします。
もちろん内容として全て正しいとは限りませんが、
基本的に記録として残されているものを参考にして記述されているため
今後の青木氏に関する研究の進展のためにも要点を簡単に記します。
また伊勢青木氏との関係性について何かお判りになることがあればご教示いただけますと幸いです。
・員弁郡 大木村 真慶寺に繋がる茂福青木氏
・青木佐右衛門から九代さかのぼった九郎助(生年不詳、1752/8/25没)という人物が初代であり、最初に茂福に入植している
・そのプロセスや理由は不明であるが、下記の歴史的事実が付記されていた
┗茂福青木一族の南隣家は、茂福氏の末裔が住んでいた場所である
┗1746年、茂福家三十代五佐衛門盈盛が茂福村から員弁郡鍋坂村に移籍(大木村の真慶寺とは員弁川を挟んだ隣村)
・真慶寺の青木は、青木駿河之守の末裔である(?)
(1571年、滝川一益による侵略に屈して笹尾城城主青木駿河守平安豊戦死という記録がある)
・中世室町期の史料には、北方一揆の構成者として大木氏の名前が何度も挙がっている
・さらにさかのぼると山田城(笹尾城)を築城した青木紀伊守安定に行きつくと思われる
・1574年、青木駿河守の子、大木兼能が織田信長の庶兄津田信広を討ち取るも敗北し、肥後へ(のち熊本で三千石を所領。加藤清正の臣下で活躍)
・その後の熊本大木氏は茂福青木氏と同族である(熊本大木氏については動向不詳とのこと)