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  [No.419] Re: 讃岐の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/23(Fri) 18:47:16

Re: 讃岐の青木です。
青木研究員 さん 2006/06/27 (火) 20:56

今日は。讃岐の青木さん。
早速お読みいただき有難うございます。
ご質問ですが、安芸に移動した時代資料では鎌倉期の後半と江戸前期ごろにも見られます。

つまり、鎌倉幕府が出来て藤原一門は職を失います。中には藤原秀郷の武蔵国や下野では生き残りのために本家筋は頼朝に合力し御家人となりました。

この合力が頼朝の幕府樹立に大きく貢献したのです。坂東八平氏の勢力では到底なし得なかったのです。
この藤原秀郷一門の本家筋は各地に離散した一族を引き取る義務がありますので味方をしましたが、此れは同時に自分の首を反面しめる事にもなるのです。
しかし、多くの一族と縁者を引き取りました。
この時、讃岐や阿波に赴任定住していた一族は新たな守護が入りますので争いが起こります。
お家の一族の丸に三階松紋の一門は故郷の武蔵や下野に向かって移動をはじめました。そして、本家筋が鎌倉幕府の御家人となって守護地を関東や東北地方に授かり、其処の護衛軍団として戻ってきた一門を配置しました。
この時に関東東北に向かって先ず移動しています。
残った一門は讃岐から安芸の国に移動しています。この時この一門は讃岐に定住中に任務としての税の運搬、販売等のノウハウや運搬の護衛力を生かして裏家業を営みました。この様なノウハウのある者の一族が残ったのです。

特に青木氏は護衛役としての役目柄を生かしました。

当時は大きく商売をするには運搬力とそれを護衛する武力とシンジケートとの渡り合える武力がなくては絶対に商いは成り立ちません。
テレビドラマでは単純な商人が商売を営んでいるようにありますが、此れは間違いです。
当時は全ての商人は「二束の草鞋」の面を持つていました。

国司や守護は税を集めそれを金にに換える仕事をしていましたので直ぐに商売に切り替えることが出来るのです。
当時は商売はシンジケートが介在して行われていました。此れとの関係を持たなくては絶対に商売は出来ません。

シンジケートは鎌倉期に浪人となった土地の豪族などが山に入り各地のシンジケートと連携し合って組織を作っていたのです。
このシンジケートの主は地主や庄屋や郷士や郷氏などをして表向きとしていました。

例えば、楠木正成はこのシンジケートの主です。ですから10万の軍と3000の兵で戦えたのです。これはシンジケートと連携していたので食料や武器などは充分でしたが10万軍は餓死して戦えなかったのです。

私の家も二束の草鞋で伊勢で紙問屋を表向き営んでいました。一方では国司や守護や最後は郷氏の顔を持っていました。
明治35年まで950年程度続きました。NHK大河ドラマには3度も登場しました。伊勢の豪商紙屋長兵衛として。

特に藤原秀郷系の一門は突然に失職したので、この方向にはしりました。

お家の一部族は武蔵の国の本家に向かって移動しましたが、お家は此処での力を生かして讃岐と安芸との間での商いを営んだと見られます。そうでなくてはこの地で新しい守護が着て生残る糧は有りません。その地に生残ると云う事はこの手段があるのです。そして、抱えた家来を養う事が出来るのです。

幸い青木氏は武力を持っていますので容易です。そして、他面では新しい守護に仕官する事もできました。

お家の安芸に移動した一族は後に安芸の守護の浅野一門と毛利に仕官しています。中には江戸期には出世した者も居ます。

この時に裏の家業も同時に営んでいました。この様に一族で結束して生き残ったのです。

だから、下がり藤紋を維持出来たのです。普通の商人は家紋など有りません。
豪商という全ての商人は二束の草鞋なのです。

堺商人や伊勢商人や松前商人や博多商人は全て「二束の草鞋」です。

讃岐と安芸と言えば塩や魚と瀬戸の水軍を生かした海運は国司や守護やの時の本業です。

私の家も伊賀の和紙を扱う裏業を商い、大船を3痩をもち、各大名との商いをしていたとの事であります。秘密裏に武器や火薬も扱う商人でした。1315年ころから始めたとの記録です。

丁度お家の家業の始まりの時期と一致しています。藤原秀郷流青木氏も皇族賜姓青木氏もこの時期に窮地に陥つていました。
最後明治35年の祖父の時代にこの火薬爆発で倒産しました。

お家の先祖と私の先祖の青木氏は鎌倉幕府樹立と室町期の混乱期に同じ家柄と官職から同じ道を辿った事に成ります。

場合に依っては我が家の記録から見て知っていた事も考えられます。
というのは、毛利の武器調達や赤穂浪士事件の時に浅野氏の財産の買取に船を廻したとあります。当然お家の領域に伊勢松阪から船を廻したのですから何らかの繋ぎを採っていたことが考えられます。

お家のご先祖の一族の方と赤穂地方の豪族の亀甲族との間で血縁を結んだとありますので、この亀甲族に大野氏が見られますが、ご先祖の大野氏の中に亀甲紋と関係する一族がいないかご調査いただけませんか。
確か、このサイトに残られたお家の一族の方の亀甲族血縁の方のルーツ依頼が以前にあつたと記憶しています。
亀甲族は古くからこの土地の豪族です。亀甲紋は出雲神社の神紋です。
汎用的に多くの土地の豪族に用いられたとあります。

非常に良い情報でしたが、これで又、ルーツが進んだと思われます。

大野氏のルーツの中に繋がりがある筈ですので一度お調べください。
どんなことでも繋がることがあります。

お便りをお待ちしています。



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