青木ルーツ掲示板
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[掲示板トップ(ツリー表示)] [新規順タイトル表示] [新着順記事] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

  [No.654] 度々申し訳御座いません。
     投稿者:セキグチ   投稿日:2009/10/29(Thu) 19:55:07

度々申し訳御座いません。頂いた情報と此方の秀郷流藤原氏の記事を幾度か読み返した中で、少し分からない点が出て来ました。今後掘り下げて調査する際の参考にしたいので、もし宜しければ教えて下さい。
まず、当家について御推察頂いた、傍系足利系関口氏に雇われた半農の武士ではないか、と云う点についてですが、どのような働きがあったにせよ、自らの家でも使用出来ない宗家の綜紋を、褒賞として半農の土豪に下賜したり、使用を許諾したりするものなのでしょうか?
次の一点は、当家に関係なく、宗派に関してですが、私の浅薄な知識では、秀郷公が平将門を追討したのが西暦で930年代、浄土宗が立教開宗したのが1170年代で、この間約200年の時間的間隔があります。少なくとも、秀郷公より200年もの間は、その宗派は浄土宗ではあり得ない筈です。また、室町から鎌倉時代には浄土宗はどちらかと云うと迫害の対象となっており、皇族や高家の武士は真言宗もしくは天台宗であり、実際に覚行法親王は真言宗の門跡、後醍醐天皇の皇子護良親王は天台座主、足利将軍家からも足利義教は還俗して将軍位に着くまでは、153代天台座主で義圓と名乗っていました。法親王の制度は明治期まで続いており、浄土宗は徳川幕府が庇護するまで、内部闘争もあって主流とはなりえなかったと記憶しておりますが、秀郷流藤原氏一派は、その歴史中のどの段階で浄土宗に宗旨を変えたのでしょうか?
以上2点、細かい事で申し訳ないのですが、御教示頂けたら嬉しいです。宜しくお願いいたします。



- 関連一覧ツリー (◆ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー