青木ルーツ掲示板
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  [No.661] Re:山口と申します。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/11/22(Sun) 08:45:05


山口さん お便りありがとう御座います。

さて、早速ですが、お便りからは、”曾祖母”とありましたが、明治初期ころですね。
若干、曾祖母と成りますと、女系の山口さんですか。
江戸以前は男系の氏家制度ですので、もしそうであればルーツは取れないと思います。
それから名主さんであったとする事は確実との情報ですので、多分、江戸期でも名主さんであっただろうと予測します。農家ではなく商家で会った事に成ります。農民の「名主」さんではなく、町の裕福な実業家であったとなりますね。
農民の名主さんは村の長の「庄屋」等も務める事もある役柄ですから、多少違ってきましたね。
明治期に醤油で財を成したお家であって有名人であったとなりますね。

醤油は江戸末期に中国から持ち込んだ金山寺味噌から発見された液汁のうまみ成分を発酵させて作ったもので和歌山県有田市が発祥です。今でもそのお家は存在し、昔は村の庄屋さんで地域に大変な貢献をし、歴史に残る有名なお家で政治家にも成りました。
そして、江戸にそれを売るために千葉の野田に工場を作りそれが全国に広まったものですから時期的には明治初期と成ります。恐らくは野田で修行をして青森に広めた方だとも思います。ですから財を成したと考えられます。

この説からすると、野田から全国各地に広まりましたから、野田付近の農民か町人であった事が覗えます。そして、青森にきて商家を興し、山口氏を名乗り、家紋を丸付き紋の柏紋にしたとも考えられます。
この説の方がより近いのではないでしょうか。情報の醤油の経緯からすると。

お答えは、あまり変わらないのですが、恐らくは近くの神社かの「総代」を務められたと考えます。
その神社が青森の宗像神社の支社である事は確実ですね。
その関係で、三つ柏紋の丸付き紋を使われたものと考えます。
丸付き紋の使用例は色々ありますが、「神社総代」を務められた関係で明治期の苗字令でそのお礼として使用を許されたものと思います。その時、当然に宗像氏の子孫では無い事から、遠慮して丸付き紋を使用した例だと思います。明治期にはこの様な事が遠慮方の丸付き紋の使用が頻発しました。

典型的な例として藤原秀郷一門が使用した「下がり藤紋」の一族は丸付き紋を使わない掟ですので、その周囲の村に住んでいた人たちはこの下がり藤紋に丸をつけて使用したのです。苗字令である一つ全村人全てが使用すると言う現象が起こりました。

ところで、疑問ですが、名主であれば、親族や菩提寺や何か証拠になるものが残っている筈ですね。
自分の家以外にも町内にも。
町の裕福な商家や総代であればその宗像神社には明治期の総代さんの名が大理石で作った柵の柱にしているものに書き込まれている筈です。或いは、神社に貢献した人や寄贈者の大口の累代の名簿等を石碑にして必ず神社の境内にはあります。その様な仕来りですから。
多分お寺にもある筈ですし、神社の氏子簿にも乗っている筈ですよ。

先ず確認される事ですね。その前に明治維新の戸籍簿に何処の住人と書かれていますよ。
平民、士分などともあります。
また、お墓のあるお寺の過去帳をごご覧に成ると直ぐ判ることです。一番古い人、戒名などでも判明します。恐らくはこの説が合っているかの確認が取れるはずです。

以上、又、確認されて不明な事やご質問等有りましたらお尋ねください。



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