青木ルーツ掲示板
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  [No.665] Re:山口と申します。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/11/23(Mon) 09:38:01


お便りありがとう御座います。

さて、お便り納得しました。矢張りそうでしたか。曹洞宗でしたね。
この事で、江戸時代を含む以前は「氏家制度」と云う社会でしたから、何もかも氏や身分や家柄等で色々な取り決めがあり、その事で宗教なども決められそれを超える事は社会としては認められなくはみ出すと生きていけない社会でした。
その宗派は最たるもので曹洞宗である事は、お家の江戸期の身分家柄などが殆ど確定する事に成ります。
更に、総本山のあの有名な修練場の永平寺ですから、その事から、又一つはっきりする事が出てきました。総本山に御魂が祀られている事は、普通の庶民は出来ませんでした。
相当の財と名声を成した者で無いとありえません。
恐らくは、永平寺は「永代供養」と云って死後50年間は永平寺本殿にその遺骨が祭られて毎日多くの僧侶によりお経を上げてもらえる仕組みです。このことが出来るには、2つの要件が備わっていなければ成りません。
先ず、社会に高く貢献し人としての徳を積んだ人である事、次ぎはこの永代供養を総本山でしてもらえるだけの見返り財(高額な金銭)を出さねば成りません。
この二つは先ず普通の人では絶対に無理でした。
金銭が出来ても社会に「功徳」を大きく施す事は出来ませんからね。
この情報で、この「功徳」はお家の場合は、社会にいろいろな貢献をした事に成りますから、その一つは当時では人のために働く事として、神社の「総代」やお寺の「檀家総代」で村や町に問題が起こるとそれを率先して解決に当る等人でした。それは同時に人のために働く事で功徳に成りますので寺はそれを認めた事を意味します。
現在は永代供養は要件が緩やかに成っていますが、当時は氏家制度の社会の縛りがある為に実に厳しかったのです。永代供養してもらう事でその人の徳の高さが評価されたのです。
村議会の議員などその功徳の最たるものでした。現在とは違い議員は全員ボランティアでしたから。その時間と経済的な余裕が無ければ出来ない事でした。
つまり、皆から感謝され慕われる「町の世話役さん」ですね。

これで、お家の江戸末期の状態がわかる事に成ります。
醤油で財をなし、永平寺で永代供養ですから、有田の醤油の経緯から野田の醤油職人であったことに成りますし、周囲に45軒度の山口氏がいる事はそれを物語ります。
江戸末期として5代程度として、最終、各世代子供2−3人の確率で末裔が確実に広がるとすると、32から48軒と成ります。
これで、江戸末期に醤油で財を成した事で和歌山有田の醤油の件は証明できます。

更にこの事に加えて、「曾祖母」の情報です。
江戸の氏家制度では男系でしたが、男子の息子がいなければ養子を求めて氏の存続を続けます。
この時の養子は今の養子と違いその実権は娘に大きくありますので、お家は、「曾祖母」としているのではと考えます。前々回にも書きましたが。
とすると、、「「曾祖母の永平寺」と「45軒」と「醤油」と「曾祖母」とで「醤油職人」を養子に迎えて氏を繋ぎ繁栄させた事に成ります。その前には45軒ですので、財を成すほどの氏では無く普通の庶民で在った事を意味します。
醤油職人を野田から養子に求めてその醤油の製造技術を基に当時のヒット商品を作り売りさばき一挙に財を成した事に成ります。その前からでは醤油もありませんし、45軒ですので無いと成ります。

そうすると、ここで問題に成ります。それは醤油の特売権の専売権が有りませんから、醤油の製造は出来ません。そうなると、その権利を認められた者として、高いレベルを持つ野田の醤油職人が専売権を認められた者か、有田の醤油縁者関係者である筈です。
一人で出来る製造では有りませんから酒の醸造と同じく多くの醤油職人が必要と成りますので、思いついて自分で勝ってに製造出来る状況のものでは有りません。これ等の人を引き連れて出来る製造です。
一醤油職人でも出来ません。ですから、当時としての醤油時期とこの条件が揃わなくては成し得ません。
と成ると、高い職人の説には無理が伴ないますので、これ等の要件が揃うのは和歌山の縁者関係者で醤油職人説が成り立ちます。
現在でも、和歌山では当然に大変に醤油工場が多いのですが、元を辿れば有田の高い匠職人か縁者の職人でその専売権の認められた子孫です。

この様に、史実で紐解けば今回でもルーツの大元は更に広がりますね。
「永平寺」や「45軒」や「曾祖母」の確認でまた確認で拡がりました。

以上ですが、又何か有りましたらお尋ねください。

青木サイトですので、史料が無いので最終のルーツまではたどり着けませんが、お家の詳細な情報を掴みそれを史実で紐解く事でかなりの所までたどり着けます。
前のアドバイスを実行して行くと其処までは行くと思います。
醤油のところと神社お寺を辿れば未だ出て来ると思いますよ。和歌山に近づくにはこの域を越えると出るのではと思います。ゆっくりとお調べに成ってください。

この投稿欄を専用として何時までも保管しておきますので、探し出してここから投稿ください。



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