青木ルーツ掲示板
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  [No.423] Re: 讃岐の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/23(Fri) 18:53:03

Re: 讃岐の青木です。
青木研究員 さん 2006/06/28 (水) 11:02

讃岐の青木さん今日は。
本日も大変貴重な情報が届られました。

確かに拡がってきましたね。これがルーツ解明の面白さですね。
其れが一寸した針の穴くらいの事からぱーと花が咲いたように広がるところが面白いですね。

今日も、きっとそうなるでしょう。
亀甲族は出雲大社の神紋ですが、この出雲大社に関係する周囲の氏子の小豪族は挙ってこの亀甲紋を家紋にしました。
そもそも、亀は万年生きることからこの紋様を目出度いとして家紋にしたわけですが、この紋様は極めて古くからあり、記録には平安中期頃から紋様化されて最初に出雲大社が鎌倉期に神紋化されはじめました。

次第に周囲の氏子族が使い始めて中国全土にひろがりました。ところがこの家紋族は小豪族の集まりから、その結束が弱く大きい豪族を作れ出すことはできませんでした。
それゆえに時代の荒波に乗り切れなかったというのが現実です。
しかし、地名や小豪族が残りました。
お家のご本家の土地名が亀水町もその一つですし、岡山には亀甲駅もある筈です。
亀甲族が住んでいた所は瀬戸の水元を意味しているのではないでしょうか。
つまり、水元は河と海の交わる港という漁業と海運の意味ですから。

この地域は元は中国後漢の国の光武帝から21代目の献帝の子供の阿智使王と孫の阿多倍王が17県民(200万人)全てを引き連れて九州北部に上陸しました。孝徳天皇のころの大化の改新のさなかです。
そして、あつと云う間に九州全土を無戦に近い状態で制圧して大和の国に帰化してきました。そして、中国に入りここも無戦制圧して関西に侵入しました。この無戦とはこの一団は多くの民とその進んだ政治と経済と工業の知識と生活手段の集団を引き連れていましたので、土地の者は進んでこの集団の支配下に入り、その技術や技能を修得して生活が豊かになりました。
この阿智使王と阿多倍王を長としての後漢の集団は日本66国のうち32国を支配下に入れたのです。
そして、土地にその生活手段をおろして民を豊かにしました。(氏名の後に部のつく苗字は全てこの集団の民の一族です。)
現代の第一次と二次の産業は殆どはこの集団が持ち込んだものです。
この阿多倍の5代後の子孫が平清盛です。

そして桓武天皇の母はこの阿多倍の孫娘に当ります。
阿多倍は敏達天皇の曾孫を娶り、3男をもうけます。
この長男が坂上氏で次男は大蔵氏で三男は内蔵氏です。この姓は天皇から賜姓を受けたものです。
この3人が朝廷の役どころの3蔵のうち、大蔵と内蔵、そして軍事の実権を任されました。(祭祀や政治の斎蔵は藤原氏 朝廷の大蔵省は次男が 天皇家の財政を三男がそして、長男が朝廷の軍事をと担うのです。

有名な日本全土を制圧した坂上田村麻呂は長男です。大蔵氏は後に永嶋氏と名乗ります。桓武天皇の日本最初の律令政治はこの後漢の国の帰化民族が完成させたのです。
詳細は研究室のレポートをお読みください。

この一族は中国地方も制圧して陶部の陶族が統治しました。村上水軍もこの末裔です。室町幕府の末に幕府に味方して毛利氏に滅ぼされます。
この小豪族をたばねていたのが陶族です。この時にこの小豪族は解体してしまうのです。亀甲族は元を正せばこの阿多倍がつれてきた帰化民であると見られます
ですからこの付近の一族は殆どこの亀甲族の血縁的影響を受けている筈です。
其処にお家のご先祖が1320-50年前後に移動しているわけですから血縁を結んでいるはずです。
今は亀甲紋でなくても血縁を受けている筈です。ましてそのご本家がその真ん中に居るのですから当時の慣習から生きていくうえでも土地の協力なしでは無理なのです。
大野氏もこの亀甲紋に血縁していることは母方も含めて先ず間違いがないと考えます。

次に岡山の亀甲族との関係の持った移動されたお家の青木さんが確かに投稿うされていました。ですから、後は証拠を見つけるだけとみられます。

この付近にある青木氏はお家の一族です。当時は讃岐との連絡も充分に本家分家の関係から一族はとれていたはずです。当時は前レポートに記しましたように一族総出で商いをしていましたから。
この付近の青木氏のお墓の紋所を調べられるとお家の綜紋の「下がり藤紋」から変紋していることが判るはずです。
そして、この付近にお寺がある筈ですからそこからも何かでるやもしれません。
お家は「下がり藤紋」を維持されて来られているところから、讃岐青木氏と岡山の青木氏の本系筋に当ることを意味します。
藤原秀郷一族5氏でも「下がり藤紋」を維持できている末裔は少ないと思います。青木氏116氏ではもつと少ないと考えます。
投稿されている中では2件目になると思います。

又何か新しい情報がありましたら、是非お便りください。

段々と全国の青木氏のルーツの解明が進むことを期待します。



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