青木ルーツ掲示板
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  [No.428] Re: 讃岐の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/23(Fri) 19:07:36

Re: 讃岐の青木です。
青木研究員 さん 2006/09/06 (水) 20:08

讃岐の青木さん 今日は。
早速ですが、大変に良く調べられて驚きました。
実は、大変な事が沢山判りました。
このようにルーツを調べてゆくと思いがけないところで先祖の繋がりが網の目のように見えてきます。

先ず、順を追ってレポートしたいと思います。

お家の副紋の「結び雁金紋」の関係で岡山方面に雁金紋が多い事がレポートされています。
「尻合せ雁金紋」の花房氏が対岸の岡山に定住していることですが、この花房氏のルーツは判っていますので、面白いところで繋がります。

花房氏は元は『陸奥の国』の小豪族でした。
陸奥は藤原秀郷宗家一門が朝廷より北国を鎮圧させるために『鎮守府将軍』として任された専職としての土地で。初代より代々引き続き担った役職です。

この中でも、藤原秀郷より4代目の兼光が鎮守府将軍として赴いた際に土地の地固めとして2つの縁組を結んでいます。
藤原秀郷の一門はこの4代目の兼光と文行の兄弟から二つの流れになります。

兼光流から、青木氏と永嶋氏と長沼氏との3つの流れが起こります。
分行流から、進藤氏と長谷川氏の2つの流れが起こります。この進藤氏から更に2つに分流します。利仁流の進藤氏です。

この兼光の一族と土地の小豪族の武田氏の縁組が起こります。

更に、土地の小豪族の花房氏の縁組が起こります。

藤原秀郷の子孫の則高が甲斐の国に赴任した時にこの武田氏は護衛として陸奥より同行して土地に根を降ろします。此れが甲斐の武田氏です。

一方、花房氏は藤原秀郷の子孫の有綱が信濃に赴任した時にこの花房氏が護衛として陸奥より移動します。此れが信濃(足利)の花房氏です。

更に、この武田氏と足利氏は藤原秀郷の武蔵の宗家と血縁をしています。
足利氏には兼光流の成行が跡目で血縁に、武田氏も血縁を結んでいます。

この「三つ雁金紋」の花房氏は足利氏の支流と血縁を結び足利の配下となり室町期に中国地方(岡山)に赴任します。此処までは判っています。
したがってこの花房氏は足利氏の藤原秀郷成行一門の血筋と陸奥国での藤原秀郷の兼光の血筋と重複して藤原の血筋を濃くしています。

したがって、お家は讃岐の青木氏で藤原兼光流青木氏の直系4氏の一つですから、この花房氏とは同じ兼光流の血筋です。
鎌倉期に藤原秀郷一門は離散する事に成りますが、この時、この花房氏は足利氏の下で健在です。
この時、お家は讃岐に留まり、その元の役職と地の利と海の利を生かして商いをしたと考えられます。当然、お家の歴史どおりの海船問屋です。
この時にこの岡山付近に配置された花房氏との関係が必要と成ります。
ルーツを辿れば同じ藤原秀郷一門で兼光流です。
当時の慣習から同族として、お家と何らかの関係を持っていた事は当然の成行きです。不思議では有りません。

その後、足利幕府が潰れて花房氏の土地の勢力を生かすために領国主となつた宇喜多氏はこの勢力関係を維持して統治するのが常道です。
そこで瀬戸海の支配を任したと見られます。

当然に、瀬戸海の支配の花房氏はお家の海船問屋との関係も同族として持つ事は自然です。で無ければ瀬戸内の支配と安全は維持できません。

そこで副紋の「結び雁金紋」のお家と、「三つ雁金紋」の綜紋の花房氏(尻合せ三つ雁金紋は分家筋)は共に「雁金紋」の血縁で尚且つ藤原秀郷の兼光流一門である事から、家紋は一致せずとも、いずれかのところ(本家筋)で縁者関係を持っている筈です。

此処が讃岐青木さんの次ぎの調査ポイントに成りますね。
必ず繋がっている筈です。

因みに、この雁金紋は源の頼朝の治承の挙兵で土佐坊昌俊に与えた「旗差し紋」ですが、この岡山の地域にはこの血筋を引く「三つ雁金紋」の海野氏もいます。この氏の末裔が此処にひろげたものと考えます。

この紋様としては「雁金紋」を主要紋として53紋様あり、この内「三つ雁金紋」の系列は「尻合せ三つ雁金紋」や「三つ盛り雁金紋」などを含む8つがあります。

「結び雁金紋」は花房氏との血縁と見ると安芸の寺田氏であり他には信濃の真田氏があります。2つを中心として6つあります。

お家の副紋の「結び雁金紋」は室町期末期から江戸期前位にこの寺田氏との血縁ではと見られます。
第2の確認ポイントです。

次ぎに私の伊勢青木氏との関係は浅野長恒氏の江戸期の伊勢の山田奉行との関係はあつた事は充分に考えられます。

伊勢の豪商の紙問屋の青木長兵衛は船三艘を瀬戸の岡山の港に浅野家の依頼で家財の買い付けで廻したと記録されています。
忠臣蔵の活動資金と家臣の分配金にしたと見られます。

勝手に、当時は海支配と言うのがあり、伊勢から瀬戸内までには5つの支配の海を通る必要があります。伊勢支配、熊野支配、紀伊支配、摂津支配、瀬戸内支配があり自由には瀬戸内に入ることは出来ません。

又この間には海賊があり、特に紀伊支配には紀伊水軍の海賊がいました。

又、お家の様な廻船問屋の聖域もあり、役務のところの「札差」(鑑札)が必要です。

此れには奉行の許可を取る事に成りますので、それが丁度、浅野氏の伊勢山田奉行の依頼と許可が当然に必要となった考えます。

浅野氏とは認識は有りませんでした。此れで完全に三艘を廻した理由が判明しました。

長兵衛は松阪に本店2つを持ち、支店を含む蔵群が隣の玉城町の面積の8割が
青木長兵衛のもので合った事が記録と伝えられています。

松阪商人としてお家などの瀬戸内の廻船問屋さんのグループに依頼されて参加したのではないかと思われます。

さて、お家のルーツと活動範囲が明確になってきましたね。
花房氏と意外なところで繋がっていました。
代としても時代性から藤原秀郷一門との縁続きの元は兼光より1、2代の非常に近い範囲ではと考えられます。
お家の青木氏の千国の元祖より兼光(曾孫)は2代あとですからね。其れが陸奥のところで血縁ですから。お家も直系4氏の一つですからね。

次ぎに、丸に剣片喰紋の青木氏の讃岐の墓地範囲にあつた事ですが、
剣片喰一門は鎌倉幕府樹立で離散して一部は領国八王子付近に、一部は淡路の赴任地に、一部が讃岐にと移動した事はわかっていますが、矢張り、讃岐の青木氏を頼ったのですね。確認出来ました。

お家の青木氏を頼ったことは一つの意味を持ちます。

頼るだけの力があったことを意味していますし、墓地が同じと言うことは更に隣の阿波の国の剣片喰紋の青木とも関係を維持していたことがわかります。
岡山や広島の一族の方と同じく、多分、領国武蔵ではかなり近い親族中の親族関係にあつたと見られます。(藤原秀郷流青木氏9氏の116氏)
(阿波の青木氏は宗政親子に同行した青木氏)
亀甲族や三階松紋の青木氏も含めて、そして、岡山の花房氏は藤原秀郷の兼光の縁者関係で濃くつながっていた事に成りますね。

大変な発見ができました。

参考として、結び雁金紋の氏は当地の浅野氏とも血縁しています。
「四つ結び雁金違い鷹の羽紋」です。

当地岡山付近では青木氏を挟んで亀甲族と雁金紋の何らかの争いが見えてくるようですね。

三つ盛り亀甲に花菱紋の件ですが、青木氏以外のことは良く判りませんが花菱紋は割菱紋の武田氏の分家一族が使用した家紋ですので、この一族との関係あった亀甲族の氏とも見られます。武田支流がこの亀甲族との関係をどのようなことでもったかは判りません。
何せ、この亀甲族は出雲大社の氏子の小豪族の連合帯ですので、身を守る為に多くの氏との血縁を結んで安定を図り守っています。
ちなみに、浅野氏との血縁を結んだ「亀甲に違い鷹の羽紋」があります。

楽しく見させて頂きました。
又新しい情報が有りましたらお知らせください。楽しみにしています。



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