青木ルーツ掲示板
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  [No.435] Re: 讃岐の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/23(Fri) 19:22:11

Re: 讃岐の青木です。
副管理人さん 2008/08/22 (金) 10:46
讃岐の青木さん 今日は。お便りありがとう御座いました。
大変役くに立つお話でした。

全国の青木さんにとっても、先祖を知る上で大変役くに立つ事でしよう。これからも宜しくお願いします。

狩野氏の描いた「竜に珠の絵図」はこのことを材題にしたものでと聞いています。昔、この絵本をみたことがあります。
私の先祖は伊勢の紙問屋を営み代々傍ら趣味とし、紀州徳川氏にも代々友人として教授して又本職にした先祖が代々続いていまして、私の代で終わっていますが、この図柄を見聞きしこの話を良く聞きました。

千常は第1子ですが、彼は陸奥、伊予、讃岐、他二つと各地に赴任しています。
四国は、藤原氏にとって、最も遠の深い土地柄ですし、四国全体が藤原氏であると云っても過言でありませんでした。
秀吉の四国攻めで苦労したのはこのシンジケートがあったからで、その最たるものは高松の水攻めや讃岐籐氏の末裔長曾我部盛親(剣片喰)との戦いがあり、秀吉は自らも出かけ天下統一の最後の戦いを大内氏にやらせて、最後の砦藤原氏の最強軍団讃岐籐氏を潰そうとしたものですね。
なかでも、中心は讃岐青木氏でありました。平家や信長や秀吉などに負われて逃れた全国の青木氏を関連する公家などを匿うなど史実が多くあります。

「藤原秀郷の主要血縁族の研究」のレポートを連載で投稿していますが、このなかで、讃岐籐氏の活躍具合を書いていますし、家紋から検証しています。現在、史料シリーズ2ですが、この史料からも検証できる一つとして、讃岐の下がり藤紋(雁金)の青木氏が、秀郷宗家の中でも「第2の宗家」と言われた116氏主要9氏の最高位の位置にいた氏と観ています。
私は、直系1氏か直流4氏の内の一つであったと観ています。そして、四国の剣片喰族を含む4氏の青木氏を長くに渡り束ねていたと観ています。
研究の中で、藤原一族近衛氏の末裔白川氏(資延氏)もそのなかの一つではなかったかと観ていましたが、偶然にも、他氏の資延氏の投稿があり驚きました。

家紋からの研究のレポートをお読みください。理解を自然に深めてもらう為に一度に出さずに現在は史料関係を出しています。その史料を見ると明らかに「下がり藤紋」を保持している宗家筋のことが良く判ります。青木氏の下がり藤紋を維持する宗家は直系、直流の合わせて5氏しか有りませんので恐らく、讃岐籐氏の青木氏はこの一つでしょう。

千国のことも系譜が途中までありますが、個人情報の範疇と成っているので、概容を書いています。
秀郷宗家の「第3子の家法」にて跡目に入れています。史料で確認出来るところは青木家宗家には6度跡目があり、支流には宗家筋から恐らく度々跡目を入れていたと観ています。
これの推論も書き添えていますので参考にしてください。
系譜の形では史料は途中までで、あとは関連史実の発掘と、家紋からの研究に成りますが。

先ずはお便りありがとう御座います。藤原秀郷一門の位置付けの一つが土地の逸話に残っていた史料と成ります。大変貴重な提供ありがとう御座います。



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