青木ルーツ掲示板
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  [No.287] Re: 土佐の青木氏
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 14:07:36

Re: 土佐の青木氏
副管理人さん 2007/04/09 (月) 09:39

土佐の青木さん 今日は。
お久しぶりです。

ルーツをおしらべになったのですね。

そこで参考に、この土佐には須崎という所があり、この須崎には青木町というところがあります。
四国には阿波(徳島 剣片喰紋 五瓜に剣片喰紋)と讃岐(香川 下がり藤に結び雁金紋)に平安期から藤原秀郷流青木氏が定住しています。
そして、この讃岐の青木さんの一族が土佐に移り一つの村を形成しました。

阿波と讃岐には藤原秀郷一族の者が守護として朝廷の命で赴任しましたので、当然に護衛役の藤原秀郷流青木氏の一門も同行しました。
そして、鎌倉幕府樹立により藤原秀郷一門全てが改易となり一部本家筋は武蔵に帰りましたが一部が残りました。
この残存した藤原秀郷の宗家筋と護衛役の同門の青木氏が奮起して土地で根好き力を発揮して大勢力を保持し、阿波と讃岐の一族は力をあわせて廻船業などの大豪商を営みました。
その時に讃岐の藤原秀郷宗家(讃岐の藤氏という)も大勢力を持ちこの一門と秀郷流青木氏とが組んで土佐に勢力を伸ばしました。大豪商としても「2足の草鞋策」で讃岐や阿波は勿論の事として一族の青木村を形成するまでになりました。
これが、土佐の須崎の青木町です。
したがって、土佐の青木町と讃岐の青木町と阿波の青木町には藤原秀郷流青木氏が存在します。

この事は研究室の讃岐の青木さんや阿波の青木さんの所の投稿レポートを参照して下さい。
更に、この3つの青木町に関して地名地形データーベースや青木地名地図でも検索してください。レポートしています。

そこで、御家は菱紋であるとしますので、この藤原秀郷流青木ではありませんので、ここの青木氏では有りません。

御家は土佐で開墾して地主となったと推測されていますし、甲斐の武田氏系青木氏が信長に滅ぼされて一族が逃げ延びた先が土佐であったと見られます。
殆どは甲斐の武田氏系青木氏の皇族賜姓青木氏一門は藤原秀郷流青木氏を頼って、その青木氏の縁故を頼りに武田氏系青木氏は横浜神奈川から栃木に逃げ延びました。

御家の菱紋の武田氏系青木氏は土佐方向に逃げ延びたと考えられます。

当時は、「国抜け」といって他国を通過して自由に一団と個人がテレビドラマのように移動できる事は出来ませんでしたので、移動できるときと言えばこの信長の戦乱期だけでした。

実は埼玉を中心とする藤原秀郷一門が住んでいた所には信長は勢力が及びませんでした。(秀吉が後に征圧しました。)また、土佐もこの時は長曾部盛親一族の勢力範囲であり、まだ勢力圏外であったのでこの四国の藤原一門の青木氏を頼って逃げ延びたと見られます。
そして、一族が力をあわせて開墾して地主となったと見られます。

山内氏になる前からこの土地には開墾すると土地を与えられて郷士になれました。そして、この郷士同士が連携して一つの集団(シンジケート)を形成していました。
山之内氏もこの者らの力を生かすために尚奨励したのです。
土佐の坂本竜馬もこの郷士族です。

御家はこの歴史的経緯を経たものと思います。

「手環」(てわか)と言って昔これ等のシンジケートの者達が互いの目印として又は会員としてのしるしとして持っていたといわれています。
このシンジケートは各地にもあり伊勢のシンジケートや九度山のシンジケートや尾張の若宮シンジケートなど大豪商が生まれる所には必ずありました。

例えば、楠木政成が新田義貞の10万の軍に3000で立ち向かい勝つたのです。
これはこの九度山の伊勢から関西圏に及ぶシンジケートが後ろを後押ししていた事から買ったのです。この時、このシンジケートは伊勢青木氏が支配する伊勢シンジケートが動いたとされています。
歴史史実の小説「名張の小太郎」などの小説などにもこれらが詳しく書かれています。

他に、信長は鉄砲をいち早く入手できたのも秀吉の仲介でこの尾張の若宮シンジケートが堺のシンジケートに働きかけて3000もの獲得が出来たのです。

でなければ、この時代はその利権と護るためには、その勢力を護り大商いは絶対に出来ませんでした。又、土地の守護であればその産物の処理なども手がけていましたから武力と共に条件が備わっていたのです。だから直ぐに出来ることでした。

多分御家はこの讃岐の青木さんシンジケートに護られて土佐に逃げ延びて子孫を繁栄させたと思われます。他国で生きようとすると昔は今のように自由はありませんでした。

以上、土佐における史料としてお知らせしますので参考にしてください。

また何か有りましたらお知らせください。お待ちしています。



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