青木ルーツ掲示板
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  [No.290] Re: 土佐の青木氏
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 14:15:28

Re: 土佐の青木氏
青木(いごっそう)さん 2007/05/06 (日) 04:42
ご無沙汰をしております。
青木(いごっそう)です。
GWにやっと実家に帰ることができまして、色々と調べてきましたのでご報告まで。

一、我が家の家紋ですが、丸付きの割菱紋でありました。

ニ、我が家の祖先が記述した年譜差出書の内容を知ることができましたので以下に記述します。


年譜差出書
青木栄三郎

高岡村百姓
忠左衛門
一、実子平次兵衛儀御詮議之上同村老役被召出寛保三亥年〜昭和元申年迠(まで)勤役仕候

平次郎実子
権八
一、昭和元申年〜寛政元酉年二十六ヵ年相勤申候勤役之内波川村ニ而盗賊生捕戌九月被呼出之上御目付方において厚御褒詞被仰付候。
  勤役之内総領茂十郎儀寛政丑年御詮議之上上甲原村庄屋役被仰付候。

権八二男
青木林兵衛
一、文政五午年御詮議之上仁井田窪川両郷散田芝開発被仰付候。苗字帯刀御免之上彼地罷越即年御裏判頂戴仕同六未年開発成就同二月新規郷士職被召出同十亥年林兵衛病死仕候。

実子総領
青木栄三郎
  同十月七日跡式無相違被仰付候。
一、文政十二巳年十二月異船渡来ニ相成早速与津浦昼夜相詰候訳ヲ以テ天保三寅年十二月御呼出之上重キ御褒被仰付之。
一、嘉永元申年七月異船渡来ニ付ハ多郡稲荷村罷越之訳ヲ以同六丑年三月廿三日御目附方御呼出之上重御褒詞被仰付之。
一、嘉永度諸郡御取分相成候砌須崎御郡奉行所附属被仰付之節実子総領覚作代勤奉願安政六未二月御聞届被仰付之。
一、同十一月仁井田窪川両郷剱術相手役被仰付之勤役仕候。
一、慶応三卯年窪川  山内主膳殿御立越ニ相成  附属被仰付其砌両郷剱術相手役被仰付之。
一、慶應四辰六月刺潮隊ヲ以西原へ御臨時御用被仰付七月五日出足仕罷越之処同九月十九日東京御差立被仰付之道筋〜斥候ヲ以罷通申候。
一、明治二巳五月十九日御用済ヲ以帰国仕候。
一、右隊無異議御免被仰付候。
一、明治三年三月廿八日異星隊第二小隊銃手被仰付之。
  右之通ニ御座候間為御届如此御座候。 已上
   明治三年十月
青木栄三郎

資料に誤植があるようで所々おかしなところがありますが、このような内容でありました。

また、開発にあたり冥加銀一貫目を土佐藩に納めたとありました。

三、同じ町内には青木姓は非常に少なく、3〜4件です。
町の歴史を見てみましたが上記以外に青木姓のつく人物は出てきません。


さて、我が家の家紋は『丸付き』割菱紋でありましたが、これは第三の青木氏が勝手に使用したものでしょうか?それとも変紋したのでしょうか?
気になるのは権八の代に盗賊を捕らえ、『総領』茂十郎が上甲原村の庄屋を仰せつかったと言う点ですね。
忠左衛門、平次郎(平次兵衛?)、権八に総領という表記はありませんでしたし、林兵衛は二男との表記がありますので分家ということでしょうか?
ご意見を伺いたく、お願いいたします。



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