青木ルーツ掲示板
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[掲示板トップ(ツリー表示)] [新規順タイトル表示] [新着順記事] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

  [No.339] Re: 静岡の青木です
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 16:57:49

Re: 静岡の青木です
副管理人さん 2007/09/29 (土) 21:23
早速のご連絡ありがとうございました。
良くお調べになりましたね。

私の推測とほぼ一致しますので、大方の所のルーツを検証する事が出来ると思います。

ただ、江戸中期以後の情報ですので、青木氏のルーツの確定は少なくとも江戸初期前後以前のものが必要ですし、本家筋の宗家の情報が必要ですが、兎も角もこの情報の中で、一部繋がりましたので、それをお答えします。

その情報とは、水野家の菩提寺が上総国にある事、
その瑞安寺が浄土宗である事、
水野家が星梅鉢紋である事、
この水野家(分家)何度か養子に入って深く血縁している事、
確実に経緯の時代性見て江戸初期前後が武士であった事、
そして上総付近に住まいしていた事が予想できる事、
水野家に養子に入れるほどの立場であった事、
久兵衛の官職名を持ち襲名方式を採っていた事、
関東以外に移動していない事、
などの以上の情報の中に含まれる江戸の社会慣習と比較しての青木氏の特異性が考えられる事、
などが上げられます。

というのは、この情報を補足する裏には、
上総の国に藤原秀郷流青木氏が結城付近を中心に存在する事、この青木氏は浄土宗である事、
水野家と血縁するには当時の血縁の慣習として、その先祖の持つ家柄を重んじることがある事。
最終1万5千石の大名との吊りあいで血縁で出来る事。
この梅紋には、藤原秀郷流青木氏の上総の家紋であり、3つある梅紋の青木氏が存在する事、
この藤原秀郷流青木氏は、藤原秀郷宗家の藤原朝光という者がこの上総の付近の領主であった事
(平家に奪い取られる)。
後に源の頼朝の平家討伐に合力して上総結城を中心とした国を本領安堵された事、
等が附帯されます。

この経緯は、次の通りです。
鎌倉幕府樹立で朝廷に仕えた北家筋の藤原氏一門は、日本全国24国に国司としては赴任してましたが、その時のいた官職と領土を失う。
この時の武蔵国の宗家と共に藤原朝光は奮起して、この上総の領国安堵を許される。
この時、同じく離散したこの一族の青木氏も朝光のこの土地の護衛役を勤める。
後に結城氏と名乗る。
そして、この地に藤原秀郷流青木氏の上総青木氏の末裔が広がる。
その後、鎌倉幕府が倒れて室町幕府が樹立したが、下克上と戦国時代になり、2つの結城氏(陸奥、上総)は滅亡する。
この時、この護衛役のこの上総(結城)青木氏は徳川氏に味方した事は史実としてのこっている。
土地の縁から地元の上総青木氏は、後から入ったてきて上総付近に住した水野氏に仕官したと見られる。
その後、徳川幕府になった時に、この水野氏の分家筋との幾度もの血縁が成されて養子縁組が出来るほどの立場となった。
以上が予想されます。

(藤原朝光に付いては、藤原秀郷の青木氏が出た兼光系である。)

(藤原秀郷流青木氏の役目は、全ての藤原秀郷の宗家一族の護衛役を担って全国24地方に同行していて各地に子孫を残してきている)

この証拠として、御家のご先祖の襲名が証拠でありますが、久兵衛の官職を名乗るためには朝廷からこの官職名を名乗れるほどの力(大名などの推薦と金品の献納で受けられる)があつた事を意味するのです。江戸初期ごろには。
(ただ、この官職は、後に勝手に名乗るようになる。明治になっては庶民まで名乗った)

この官職は藤原秀郷流青木氏が朝廷から取得できる身分官職です。
この官職に付いては「青木氏の官職と職位」のレポートがありますので参照してください。
宮廷の3つある衛兵門の守備職で、兵衛と成ります。(身分によって異なる。)
この官職を江戸初期に名乗れる氏である事を証明します。だから、水野氏との血縁ができたものと思います。

藤原秀郷流青木氏は浄土宗です。当時の浄土宗は特定の高位(藤原氏や青木氏)の者が入信できる特定の宗派と成っていた。
従って、各地には藤原氏か青木氏が定住する土地以外には浄土宗の寺がなかったのです。
上総には、この藤原秀郷の宗家の末裔の朝光と、その護衛役の藤原秀郷流青木氏がいましたので、浄土宗があるのです。しかし、少なく、江戸幕府は上級の大名と武士と御家人と旗本に入信するように奨励しました。
御家が元は浄土宗であったと見られますが、江戸に移った時に寺が少ないが為に、浄土宗の流を組む浄土真宗にはいったものと見られます。

藤原秀郷流青木氏は各地に長く赴任し定住すると、寺がないために、真宗に入ったのです。
特に埼玉や栃木をのぞく関東付近と四国九州での青木氏は仕方なく真宗に改宗しました。
千葉は今でも昔結城という限定される所での藤原氏と青木氏なので寺は少ないのです。

藤原秀郷流青木氏に付いての詳細は、「藤原秀郷一族の生き方」1−13を参照してください。

御家のルーツは提供された情報から検証すると、武蔵の国の入間郡を中心に横浜神奈川を半径として円を書く範囲を領国としていました(元は藤原秀郷の一門の)藤原朝光を元祖とする結城氏に同行した上総の青木氏と見られます。(室町末期には結城から上総全体と下総にも青木氏の末裔は拡がる)

この内容を読まれて思いつく仔細名な事何でも、他に情報が有りましたらお伝えください。より検証が確定できますので。時代にはその時代の慣習があって思いも依らない簡単なことが決め手になる事が多いのです。

以上にご質問が有りましたらお尋ねください。



- 関連一覧ツリー (◆ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー