青木ルーツ掲示板
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  [No.340] Re: 静岡の青木です
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 16:58:49

Re: 静岡の青木です
青木 昇さん 2007/10/19 (金) 15:17 [ メール ]
先日、お礼の返信をしたつもりでしたが、操作ミスか届いていないようなので、
改めてお礼申し上げます。
今までのご指導により、家紋の伝承が大切なことが分かり、主家水野家の沢瀉紋と青木家の星梅鉢紋に接点はないか、調べてみましたのでご報告いたします。
「インターネット等による調査」
・旗本の水野家(7千石)に伊勢桑名藩松平(久松)家から養子が入っていた。
・伊勢桑名藩松平(久松)家(11万石)は星梅鉢紋だった。
・松平(久松)家の先祖は、菅原道真が失脚したのに連座して、長孫の菅原雅規(幼名久松麿)が
尾張国阿久比に配流された。
・南北朝時代は後醍醐天皇に仕えた、菅原定長の子定範が尾張国知多郡目代に任ぜられ、
英比(阿久比)郷に土着した。
・久松の苗字は先祖の久松麿から取った。
・室町時代は尾張国守護の斯波家に属する国人領主だった。
・松平(久松)家から水野家に養子に入った水野忠定が、安房北条藩(1万5千石)を立藩して3代
続いた。
・水野忠韶の時に転封により、上総鶴牧藩(1万5千石)を立藩し、3代続いて明治になった。
・青木家の過去帳は水野忠定が水野家の養子になった年代頃から記載されている。
・明治2年に各藩の組織が複雑な為、藩政改革が行われ、青木家は鶴牧権大参事(家老)に任じら
れた。明治4年に廃藩置県になった。
・家族で笑って聞き流していた、我家の口伝が裏づけられた。
・松平(久松)家の知多郡阿久比と水野家の刈谷周辺に青木性が非常に多いと聞いた。
「考察」
・家格のうるさい時代に、主家に付随する家紋(星梅鉢)の使用が許されたり、分家に養子に入る
人がいたりして、ご指摘の通り相当緊密な間柄だった。
・青木家の先祖は松平(久松)家の家臣で、主家と一緒に転勤していた転勤族だった。。
「推論」
・現在の愛知県知多郡阿久比町周辺出身の青木家ではないかと思われます。
「お礼」
・このサイトに出会わなければここまで調べる事も無く、家にある資料も全て散逸していたと思わ
 れます。ありがとうございました。



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