青木ルーツ掲示板
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  [No.343] Re: 静岡の青木です
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 17:02:00

Re: 静岡の青木です
副管理人さん 2007/12/01 (土) 20:22
静岡の青木さん 今日は。お久しぶりです。

そうですね、もう12月ですね。
今年は異常に暑い夏でした。梅雨過ぎから雨も今まで降った日は10日も有りません。
果物は大変おいしいもの採れましたが、野菜類などは駄目でした。
このままで行くと東南アジアみたいな季節になりそうです。

さて、随分調査されて努力されているようですね。ご苦労様です。
ルーツは根気が必要ですね。
私も40年も掛かりました。
頑張ってください。

3つ気になる事があります。

伊勢の地名のこと。
桑名藩の松平氏の伊勢の菩提寺のこと。
系譜の消失のこと。

伊勢の青木氏は3つの流れが平安期からあります。
一つ目は賜姓伊勢青木氏です。(大化期)
二つ目は藤原秀郷流青木氏です。(平安期)
この2つが主流です。
三つ目は鳥羽稲垣氏と血縁した藤原系青木氏と賜姓青木氏との血縁の青木氏(江戸初期)
これら3つの流れは土地柄で区別できます。

伊勢と紀州の松平系の菩提寺は江戸初期に伊勢松阪のある浄土寺に有ります。
この寺は、元は賜姓伊勢青木氏の単独の菩提寺でした。3度の火災で消失して江戸期に徳川氏により新たに(伊勢と紀州)徳川氏(松平氏)寺として建立され収拾された。

系譜の消失時期と消失した災難の種類は何でしょうか。
伊勢は3度の大火に会っています。
1つは明治35年です。2つは室町中期、3つは江戸中期です。
この火災で、松阪付近にあった3度菩提寺が転々としました。

明治35年の伊勢の大火は賜姓青木氏の宗家より出火(950年続いた宗家の青木氏の紙屋長兵衛は倒産)しています。

お家の今回の情報では江戸中期の時期に当りますが、大火では3つ目と成ります。
もし、伊勢の1つ目か3つ目の大火であり、「本宮」と成りますと、一つ目の賜姓伊勢青木氏(筆者)の末裔と成りますが、家紋が異なります。
何かの理由で梅鉢紋になったことも有り得ますが、これを解決する必要があります。
桑名の松平氏となると、この地は桑名の伊勢青木氏の末裔と成ります。

(家紋に付いて、今までの投稿の所を読み直しましたが、松平氏にこの家紋の使用を許されたと書いていますので、2度の男系不継で女系となって変紋を余儀なくされたと異なります。
よって、元の家紋が笹竜胆紋か伊勢青木氏の家紋類に相当しているかによります。)

これで、家紋は原則解決出来る事になります。

この賜姓青木氏は名張、松阪、桑名、員弁のライン上の青木氏です。(筆者の伊勢青木氏の一族)

家紋を前提とすると、二つ目の藤原秀郷流の青木氏です。しかし、土地柄は永嶋域となり異なります

江戸時代の大名身分とすると、稲垣氏です。すくないですが、稲垣氏青木氏があり、この青木氏は四日市付近が地域と成ります。この青木氏が同じ伊勢の桑名藩の松平氏と関係していたことが考えられます。

ところで、伊勢から紀州徳川氏に特別に請われて、伊勢青木氏宗家は紙屋長兵衛の商いの知識を求められて、吉宗に付き従い、納戸頭、勘定奉行として「享保改革」を実行しました。
もう一人は、伊勢青木氏が紀州徳川氏の納戸役を請われて一時家臣として仕え、江戸に赴いて働いています。

参考
伊勢松阪は紀州徳川氏の飛地領でしたので、元伊勢守護の青木氏と大正14年まで親交していました。
それと、久兵衛の・・兵衛は賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏のこの2つの青木氏の専有の名誉官職です。
伊勢の藤原秀郷流青木氏は安土期では官職は大膳(大典)と玄審ですので、久兵衛となりません。

朝廷の宮廷の親衛隊で3つの宮門を守っていた衛兵役です。(北面武士、西面武士)
(天智天皇からこの役を担う)
青木氏は・・兵衛を名乗ります。これには2つのクラスと3つの階級に分かれています。
賜姓伊勢青木氏は、長兵衛が襲名でした。5家5流の賜姓青木氏は長や作や右や左等を使っています。
長と久の違いですが、伊勢青木氏では、この前の長を分家筋では変えていますから、久はありえます。久は長では有りませんか。再度確認ください。間違って系譜を作るときに草書体では似ていますので間違えた可能性があります。
長兵衛は一族宗家の襲名です。
系譜を作るとき、分家が元祖として、長兵衛と書いたのではないでしょうか。
伊勢の一族では4つ程度確認出来ますが、私の方でも調べてみます。(卯、萬、作、長、次郎)

但し、江戸中期から誰でもが金品を朝廷に払い推薦を得て獲得できるものとなってしまいました。

そこで、明治期に官職を得たとなっていますので、上総の青木氏と今回の伊勢の青木氏の可能性もあります。

そこで系譜消失の時期とその理由をもう一度お調べください。
まだ可能性はあります。
それにより、伊勢の賜姓青木氏か、伊勢の藤原秀郷流青木氏かの糸口が出て来ると思います。

伊勢出と本宮と桑名と官職(久兵衛)と系譜消失の5つもの情報が附合一致していますので大きく進展してきました。
長と久の違いと、久兵衛は襲名ですかもお調べください。
久兵衛の最初の先祖の時期と、家紋の件を解決すれば(家紋変更時期と元の家紋)、筆者の私と同じ伊勢青木氏である事も考えられます。

伊勢青木氏は天智天皇の第6位皇子(施基皇子)の子孫と成ります。
伊勢青木氏は、伊勢松阪に「2足の草鞋」で950年続いた紙問屋の豪商の青木長兵衛(名張の戦いで名張城で信長に勝った等歴史的に有名 2つの小説や歌舞伎がある。NHKの大河ドラマに3度も出て来る)
青蓮寺城(名張)と青木山城(度会)の2つの城持ちでした。(天正期まで)
松阪を経由して桑名から信濃の手前の伊勢町を通じて信濃の青木氏とも付き合いがあった。


綜紋は笹竜胆紋です。ステイタスは天智天皇から与えられた鞍作部止利作の大日像の仏像があります。
「青木氏の綜紋の笹竜胆紋」や「青木氏のステイタスの生仏像様」をお読みください。

以上ですが、もう少しです。



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