第27/33番目の紋様です。
「釘抜き紋様」です。
この紋様には20の家紋種があります。
この20紋様のうち青木氏に拘る紋様は1つです。
この紋様は「釘抜き紋」でありこの紋様は江戸時代に発祥したものです。
詳細は研究室の「青木氏と血縁族(家紋)」の28番を参照して下さい。
この紋様を使用している氏として次の氏が挙げられます。 松平大給氏です。 滋賀の宇多源氏佐々木氏の末裔の木村、池田、横田氏の3氏も使用しているとされているが江戸期の搾取偏纂の多い時期であるので佐々木氏が何故に木村氏、池田氏、横田氏に変名したかはその真偽は確かでない。 (通常はよほどのことでなければ佐々木氏からの変名は通常はない。)
佐々木氏についは近江の佐々木氏と滋賀の佐々木氏がある。 近江の佐々木氏は皇族賜姓青木氏の第6位皇子の伊勢の青木氏と同じく、天智天皇の第7位皇子で特別に賜姓を受けた近江王の皇族賜姓族であり、地名の佐々木を採って佐々木氏と賜姓を受けた氏です。宇多天皇期には滋賀王として佐々木氏を賜姓しました。
この青木氏は皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏との2つの流の青木氏とは異なり、江戸初期の家紋、系譜の混乱期に出た第3の青木氏と見られます。
つまり、農民や一般庶民や下級武士の家紋系譜の確かでない者が戦国時代の世を経て武士となり身を立て家を興した者が御家人や中級武士となり仕官することで家紋と系譜を必要となり作り上げたものです
特にこの青木氏は皇族賜姓族として高位氏である事から嵯峨期からの朝廷の禁令にもかかわらず無視して附けられた。この時、江戸幕府はこの使用を形式的に使用を禁止したが天皇家の象徴紋の桐紋と同様に守られなかつた。
特に、その使用は特長として、伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐の地方の5家5流の皇族賜姓青木氏24氏の存在するところと藤原秀郷流青木氏のある24地方の所でも多く起こったものである。
これはその地方から出てきた者が土地の有力家紋を使用して神社仏閣に高額な金品を送り搾取偏纂したものです。
松平の支流の大給氏の家紋であるがこの一族と血縁して跡目を採り男系跡目が2代続きで女系となり松平の養子先の家紋と成ったとも考えられるが、この時期の家紋掟の遵守度合いから鑑みてわざわざ「笹竜胆」や「下がり藤紋」から変紋することをしたとは考え難い。
更に、宇多源氏の末裔として滋賀の佐々木系青木氏の末裔とも考えられますが、その氏の分布状況からしても考え難い。
この青木氏はその分布が特定し難いが、あえて記すると江戸期に(松平大給氏の分布する中部から関東付近に多い)藤原秀郷流青木氏の氏を搾取した傾向があり、家紋も釘抜きの職業紋としたと考えられます。
上記の2つの青木氏の特長としての青木村の存在が必ずあるが、この青木氏の族としての集団で住む青木村はありません。また、室町以前の存在は確認出来ません。 室町期の法秩序の乱れた戦国時代を除いて、民の移動は国の生産高の確保を図るために「国抜け」として堅く禁じられていたのであり、関所などを設けて自由に移動定住することは出来なかったのです。故に親族は固まって一箇所に定住する事になるのです。 つまり、「釘抜き紋」の青木村が存在しないのはこのことから上記2つの青木氏でないことの証にもなります。
又、当然にその村の青木氏には親族縁者関係の固定の宗派が出来ます。この「釘抜き紋」の青木氏はこの浄土宗か浄土真宗(藤原秀郷流青木氏の一部)以外の宗派である事からも上記2つの青木氏でないことの証であります。 上記2つの青木氏は各地に夫々一族の自らの菩提寺を持っているのです。 この釘抜き紋の青木氏には確認出来ないことも証に成らない一つです。
江戸幕府は特に特定氏の宗派であつた浄土宗を保護するために上級武士に対して入信することを許して奨励しました。
上記2つの青木氏の存在する青木村は合わせて集約するとその土地は史実と一致して70近い青木村を形成しています。この「釘抜き紋」の青木氏はこの中に含まれません。 この様にその根拠の検証を確定できるものがみつかりません。
この家紋は大工道具の釘抜きから家紋としたものですが、この紋様から観てもその前身の出生を予想できます。 他のこの20の家紋を使用しているご先祖にはその先祖はこの紋様に纏わる職種に携わる氏が明治以降の内容から多く確認出来ます。
この紋様には「九城抜き」として縁起を担いだとするものと、「釘抜き」として千金の意味をつけるものとして明治以降の言い伝えとしてあるが、全て後から託けてつけられた言い分とされています。
「升紋」や「角字紋」や「隅きり角」などと同様の江戸時代の「職業紋」の一つです。 この種の職業家紋は鎌倉期以前の上級武士の家紋を持つ氏にはないが、江戸期初期と明治初期の家紋類に多い事からもその出生は覗えます。
この氏の家紋の氏は比較的多いので此処に記しました。
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